ジェロム・レ・バンナ
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基本情報 | |
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本名 | ジェロム・レ・バンナ |
通称 | ハイパーバトルサイボーグ K-1の番長 無冠の帝王 ジェロニモ JLB The hard hitting |
階級 | スーパーヘビー級(K-1) |
国籍 | フランス |
誕生日 | 1972年12月26日(35歳) |
出身地 | フランス セーヌ=マリティーム県 ル・アーヴル |
命日 | |
死地 | |
スタイル | キックボクシング(サウスポー) |
プロキックボクシング戦績 | |
総試合数 | |
勝ち | |
KO勝ち | |
敗け | |
引き分け | |
無効試合 |
ジェロム・レ・バンナ、ジェローム・ル・バンネル(Jérôme Le Banner、1972年12月26日 - )は、フランス出身の男性キックボクサー。身長190cm、体重120kg。血液型A型。右利き。構えはサウスポー。Le Banner X tream Team所属。K-1、キックボクシングの試合で活躍する一方、プロボクシングや総合格闘技にも挑戦している。
ニックネームは「ハイパーバトルサイボーグ」。得意の左ストレートは「黄金の左」と呼ばれている。また、ファイトスタイルや強面の顔、発言から「K-1の番長」と呼ばれている。また、公式のニックネームは「ジェロニモ」である。
目次 |
[編集] 来歴
1972年12月26日、フランス、セーヌ=マリティーム県のル・アーヴル生まれ。空手を短期間、6歳から14歳まで柔道を学んだ。憧れはブルース・リー。キックボクシングではステファン・レヴェヨンにKO勝利してISKAフランス・スーパーヘビー級王座を獲得。K-1参戦前に南アフリカで行われたISKAインターコンチネンタル王座戦でマイク・ベルナルドと対戦、判定3-0で勝利し同王座を獲得。
[編集] K-1参戦
1993年、「K-1 GRAND PRIX '95 開幕戦」に出場。タイのノックウィー・デービーを5R判定で下し、決勝トーナメント進出を決める。
1995年5月4日、「K-1 GRAND PRIX '95 決勝戦」に出場。準々決勝で佐竹雅昭に3RKO勝ちし、準決勝でマイク・ベルナルドに2RKO勝ちするが、決勝戦でピーター・アーツに右ボディストレートを喰らい1RKO負け、準優勝に終わった。12月9日、アンディ・フグに判定負け。
1996年3月10日、「K-1 GRAND PRIX '96 開幕戦」に出場。ミルコ・クロコップに判定負け。
1996年6月1日、カーチス・シュースターに勝利し、ISKAムエタイ世界スーパーヘビー級王座を獲得。10月18日、K-1 STAR WARS '96にて、アーネスト・ホーストと対戦、2RKOで勝利。12月8日、K-1 HERCULES '96にて、サム・グレコと対戦。全5Rを通してグレコのローキックを受け続けたものの、耐えてパンチを中心に攻め、互いに死力を尽くし5R引き分けドローとなる。
1997年2月1日、フランスでモーリス・スミスに勝利、ISKAムエタイ世界スーパーヘビー級王座の防衛に成功。
1997年4月29日、K-1 BRAVES '97にて、レイ・セフォーと対戦。1Rに右フックで先制のダウンを奪うも、直後にセフォーのブーメランフックを喰らい逆転失神KO負けを喫した。
1997年7月20日、K-1 DREAM '97にて、ピーター・アーツと対戦。2RKO負けを喫した。11月9日、K-1 GRAND PRIX '97に出場。リック・ルーファスにTKO勝利するも、アーネスト・ホーストに1RKO負け。
1998年7月18日、K-1 DREAM '98にて、サム・グレコと再戦し、1Rにハイキックとパンチで2度のダウンを奪われながらも、2Rに左ストレートで逆転KO勝利。
[編集] プロボクシング転向
1998年から1999年にかけて、K-1を離れてボクシングに専念。このときの戦績は、4戦4勝3KO(ただし4戦とも、対戦相手は一度も勝利した記録がないか、対戦時には2勝10敗と大きく負け越している選手)。
1998年9月19日にアメリカ合衆国・アトランタで、ドン・キング主催のボクシング興行でイベンダー・ホリフィールド対ボーン・ビーンの試合が行われたが、前座のキックボクシングマッチで、ブラジルのエスペディト・ダ・シウバ(Espedito DA SILVA)と対戦した。ハイキックで1RKO勝ちし、WKNムエタイ世界スーパーヘビー級王者になった。この王座の防衛戦は、2005年4月30日まで一度も行われなかった。
[編集] K-1復帰
1999年10月3日、K-1 GRAND PRIX '99 開幕戦に参戦。約1年振りにK-1に戻る。マット・スケルトンに右フックで1RKO勝利。12月5日、東京ドームにて行われたK-1 GRAND PRIX '99 決勝大会、準々決勝でのピーター・アーツとのリベンジマッチでは、試合開始から15秒でアーツの右ハイキックでダウンを奪われたものの、1R1分11秒に左フック1発で大逆転KO勝利。続く準決勝アーネスト・ホースト戦では1Rは優勢に進めたものの、2RにKO負け。
2000年3月17日、ラスベガスにてパリス・バシリコスと対戦して2RKO勝利、ISKAムエタイ世界スーパーヘビー級王座の防衛に成功。
2000年4月23日、K-1 THE MILLENNIUMでフランシスコ・フィリォと対戦、バンナの左ストレート一撃で1R失神KO勝利。この試合は「千年に一度のKO劇」と呼ばれた。7月30日、K-1 WORLD GP 2000 in NAGOYAのトーナメントで、1回戦でマーク・ハントに判定勝利。続く準決勝のニコラス・ペタス戦では、1RKO勝利。決勝戦ではアーネスト・ホーストに1RKO勝利し、優勝。これにより12月の東京ドームでの決勝大会の出場権を得たが交通事故と病気により欠場。
2001年3月4日、マルセイユでアンドレイ・ズラコフと対戦し、1RKO勝利。しかし、この試合で左脛に怪我を負い、14針を縫った。
3月17日、K-1 GLADIATORS 2001にてマイク・ベルナルドと対戦(この試合では負傷したバンナの左脛にサポーターを着ける事が両者合意の下、特別に承認された)。1R終了間際、ベルナルドの体を入れ替えての左右のフックがバンナの顔面に直撃。そのままマットに沈んだ。しかし、バンナ陣営から抗議が出る。検証の結果、ダウンする数秒前にゴングが鳴っていたことに加えて、観客の歓声でゴングの音がかき消されレフェリーには聞こえていなかった。ゆえにノーコンテスト(無効試合)となる。
2001年4月29日、K-1 WORLD GP 2001 in OSAKAのトーナメントで、全試合1RKO勝利で優勝し、東京ドームへの切符を手にする。そして12月8日、K-1 WORLD GP 2001決勝大会でマーク・ハントと対戦。バンナは優勝候補筆頭とされたが、まさかの2RKO負け。
2001年12月31日、「INOKI BOM-BA-YE 2001」で総合格闘技に初挑戦。プロレスラー・安田忠夫と対戦するが、ギロチンチョークで一本負け。
2002年5月25日、K-1 WORLD GP 2002 in Parisでのバンナの母国フランスでの凱旋試合で、前年のK-1WGP王者マーク・ハントと待望のリベンジマッチ。2R開始早々にパンチでダウンを奪って一気に攻め込むが、ハントも反撃してダウンを奪い返す。そして2R終了直前にハント対策として猛特訓を積んできたハイキックでバンナがダウンを奪う。ハントは立ち上がって2R終了まで持ちこたえたものの、戦意喪失のためタオル投入。バンナが2R終了TKO勝利でリベンジを果たした。
2002年12月7日、K-1 WORLD GP 2002 決勝戦では、準々決勝で武蔵に2RKO勝利し、準決勝はマーク・ハントとの4度目の対戦となり、キックを主体としたインサイドワークでダウンを奪って判定勝利。決勝ではアーネスト・ホーストのミドルキックを受けて左腕を粉砕骨折し、KO負け。この試合でレフェリーを務めた角田信朗のレフェリングが問題視された。粉砕骨折した左腕を治すためにプレート2本とボルト13本を埋め込む手術を行った。
2003年6月14日、パリ大会で復帰、ヴィタリ・オフラメンコと対戦、2RKO勝利。同年のWORLD GP開幕戦に出場予定だったが、練習中に左腕に埋まっている金属ボルトがズレたため欠場。ジャン=クロード・ヴァンダムがジムに来訪した為、練習に力が入りすぎたとの事。
2004年7月17日、韓国大会でテレンス・リーズビィに1RKO勝利。9月25日、WORLD GP開幕戦でフランソワ・"ザ・ホワイトバッファロー"・ボタと対戦、ダウンを奪われるも判定でドロー。しかし延長を前にして戦意喪失によるタオル投入でTKO負け。
2004年12月31日、K-1 PREMIUM 2004 Dynamite!!でボブ・サップとMIXルールで対戦し、1Rと3RのK-1ルールのラウンドでは圧倒するも、2Rと4Rの総合ルールのラウンドでは巻き返され、引き分け。
2005年3月26日、HERO'Sで秋山成勲を膝蹴りで1RKO勝利し、総合ルール戦初勝利を挙げた。4月30日、スイスでオリヴァー・ヴァン・ダムに1RKO勝利し、バンナ自身が保持するWKNムエタイ世界スーパーヘビー級王座の防衛に成功。5月27日、K-1パリ大会で因縁の相手シリル・アビディと対戦。アビディが反則の頭突き攻撃を連発(レフェリーは見逃す)で受け続け、額に巨大なタンコブができながらも5RTKO勝利。その後もディミトリ・ポドガイスキー、ゲーリー・グッドリッジに1RKO勝利。
2005年11月19日、WORLD GP決勝大会でピーター・アーツと対戦、延長ラウンドの末、判定負け。
12月31日、K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!!でアラン・カラエフと対戦、左ミドルキックで2RKO勝利。
2006年5月13日、K-1 WORLD GP 2006 in AMSTERDAMでレミー・ボンヤスキーと対戦、判定は一度は0-2でボンヤスキーを支持。この結果に、バンナ陣営から抗議が申し立てられ、日本で再審議。6月30日に正式に結果が出された。日本人6名、アメリカ人2名で構成された検証審判員によるビデオ検証の結果、3-0でバンナの判定勝利に変更された。9月30日、WORLD GP開幕戦ではチェ・ホンマンと対戦。結果は延長1Rでバンナが判定勝利。
2006年12月2日、GP決勝戦の準々決勝では自ら前年度K-1世界王者セーム・シュルトを対戦相手に指名するも、2Rにダウンを奪われ、3R判定負け。
2007年3月4日、K-1 WORLD GP 2007 IN YOKOHAMAで澤屋敷純一と対戦、リングを回りながらのカウンターパンチにより1R・3Rと2回のダウンを喫し、3R判定負け。K-1ルールによる日本人選手との対戦で初めての敗戦となった。
2007年6月、2002年末以来、左腕に埋め込まれたままになっていた2本のプレートと金属のボルト13本を手術によって除去した。
2007年9月29日、K-1 WORLD GP 2007 IN SEOUL FINAL16でパク・ヨンスと対戦、1Rに右フックでKO勝ち。
2007年12月8日、K-1 WORLD GP 2007 FINALの準々決勝でチェ・ホンマンと再戦。リベンジを許さず判定勝ち。準決勝では王者セーム・シュルトと対戦。1R開始から積極的に前に出るが終盤に右膝蹴りを顔に受けぐらつくもゴングに救われる。2Rに右ローキックを受けダウン、それを見たセコンドがタオルを投入しTKO負け。
[編集] 戦績
[編集] キックボクシング
キックボクシング 戦績 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
67 試合 | (T)KO | 判定 | その他 | 引き分け | 無効試合 | |
50 勝 | 40 | 2 | 1 | |||
14 敗 |
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | イベント名 | 開催年月日 |
× | セーム・シュルト | 2R 1:02 TKO(ダウン→タオル投入) | K-1 WORLD GP 2007 FINAL 【準決勝】 |
2007年12月8日 |
○ | チェ・ホンマン | 3R終了 判定3-0 | K-1 WORLD GP 2007 FINAL 【準々決勝】 |
2007年12月8日 |
○ | パク・ヨンス | 1R 0:54 KO(右フック) | K-1 WORLD GP 2007 IN SEOUL FINAL16 【1回戦】 |
2007年9月29日 |
× | 澤屋敷純一 | 3R終了 判定0-3 | K-1 WORLD GP 2007 IN YOKOHAMA | 2007年3月4日 |
× | セーム・シュルト | 3R終了 判定0-3 | K-1 WORLD GP 2006 in TOKYO 決勝戦 【準々決勝】 |
2006年12月2日 |
○ | チェ・ホンマン | 延長R終了 判定3-0 | K-1 WORLD GP 2006 in OSAKA 開幕戦 【1回戦】 |
2006年9月30日 |
○ | レミー・ボンヤスキー | 3R終了 判定3-0 (当初は判定0-2で敗北) |
K-1 WORLD GP 2006 in AMSTERDAM | 2006年5月13日 |
× | ピーター・アーツ | 延長R終了 判定0-3 | K-1 WORLD GP 2005 in TOKYO 決勝戦 【準々決勝】 |
2005年11月19日 |
○ | ゲーリー・グッドリッジ | 1R 2:13 KO(パンチ連打、3ノックダウン) | K-1 WORLD GP 2005 in OSAKA 開幕戦 【1回戦】 |
2005年9月23日 |
○ | ディミトリ・ポドガイスキー | 1R 1:49 KO(左フック) | La Finale du Grand Tournoi | 2005年7月2日 |
○ | シリル・アビディ | 5R 2:53 KO(右フック) | K-1 WORLD GP 2005 in PARIS | 2005年5月27日 |
○ | オリヴァー・ヴァン・ダム | 1R KO(左フック) | RUMBLE IN SWITZERLAND!!! | 2005年4月30日 |
○ | 天田ヒロミ | 2R 1:03 KO(左ローキック) | K-1 WORLD GP 2004 決勝戦 【リザーブファイト】 |
2004年12月4日 |
× | フランソワ・"ザ・ホワイトバッファロー"・ボタ | 3R終了時 TKO(タオル投入) | K-1 WORLD GP 2004 in TOKYO 開幕戦 【1回戦】 |
2004年9月25日 |
○ | テレンス・リーズビィ | 1R 0:53 KO(右膝蹴り) | K-1 WORLD GP 2004 in SEOUL | 2004年7月17日 |
○ | シャカ・ズール | 2R 1:16 KO(右ローキック) | K-1 SURVIVAL 2003 〜JAPAN GP 決勝戦〜 【スーパーファイト】 |
2003年9月21日 |
○ | ヴィタリ・オフラメンコ | 2R 2:32 KO(右ストレート) | K-1 WORLD GP 2003 in PARIS | 2003年6月14日 |
× | アーネスト・ホースト | 3R 1:25 KO(右ミドルキック、3ノックダウン) | K-1 WORLD GP 2002 決勝戦 【決勝】 |
2002年12月7日 |
○ | マーク・ハント | 3R終了 判定3-0 | K-1 WORLD GP 2002 決勝戦 【準決勝】 |
2002年12月7日 |
○ | 武蔵 | 2R 0:51 TKO(右フック→タオル投入) | K-1 WORLD GP 2002 決勝戦 【準々決勝】 |
2002年12月7日 |
○ | ゲーリー・グッドリッジ | 1R 0:42 KO(右ストレート) | K-1 WORLD GP 2002 開幕戦 【1回戦】 |
2002年10月5日 |
○ | ドン・フライ | 1R 1:30 KO(パンチ連打) | Dynamite!(K-1ルール) | 2002年8月28日 |
○ | シニサ・アンドリヤセビッチ | 4R終了時 TKO(戦意喪失) | フランス パリ ベルシー体育館 | 2002年7月6日 |
○ | マーク・ハント | 2R終了時 TKO(タオル投入) | K-1 WORLD GP 2002 in PARIS | 2002年5月25日 |
○ | 天田ヒロミ | 1R 1:42 KO(右ストレート) | K-1 WORLD GP 2002 in NAGOYA | 2002年3月3日 |
× | マーク・ハント | 2R 2:32 KO(パンチ) | K-1 WORLD GP 2001 決勝戦 【1回戦】 |
2001年12月8日 |
○ | マーク・デ・ウィット | 2R 1:45 KO(右ストレート) | K-1 ANDY MEMORIAL 2001 〜JAPAN GP 決勝戦〜 【スーパーファイト】 |
2001年8月19日 |
○ | ステファン・レコ | 5R終了 判定3-0 | K-1 SURVIVAL 2001 〜JAPAN GP 開幕戦〜 【スーパーファイト】 |
2001年6月24日 |
○ | アダム・ワット | 1R 0:46 KO(右フック) | K-1 WORLD GP 2001 in OSAKA 【決勝】 |
2001年4月29日 |
○ | エベンゼール・フォンテス・ブラガ | 1R 1:03 KO(右フック) | K-1 WORLD GP 2001 in OSAKA 【準決勝】 |
2001年4月29日 |
○ | パヴェル・マイヤー | 1R 2:15 KO(左フック) | K-1 WORLD GP 2001 in OSAKA 【1回戦】 |
2001年4月29日 |
- | マイク・ベルナルド | ノーコンテスト(1R終了後の攻撃) (当初はTKO負け) |
K-1 GRADIATORS 2001 | 2001年3月17日 |
○ | アンドレイ・ズラコフ | 1R KO | K-1地区大会 | 2001年3月4日 |
○ | アーネスト・ホースト | 1R終了時 TKO(タオル投入) | K-1 WORLD GP 2000 in NAGOYA 【決勝】 |
2000年7月30日 |
○ | ニコラス・ペタス | 1R 3:00 KO(右フック、2ノックダウン) | K-1 WORLD GP 2000 in NAGOYA 【準決勝】 |
2000年7月30日 |
○ | マーク・ハント | 3R終了 判定3-0 | K-1 WORLD GP 2000 in NAGOYA 【1回戦】 |
2000年7月30日 |
○ | ショーン・ジョンソン | 1R KO(左フック) | CHAMPIONNAT DU MONDE DE BOXE THAI | 2000年7月13日 |
○ | ヤン・"ザ・ジャイアント"・ノルキヤ | 1R 1:07 KO(左ストレート) | K-1 SURVIVAL 2000 | 2000年5月28日 |
○ | フランシスコ・フィリォ | 1R 2:02 KO(左ストレート) | K-1 THE MILLENNIUM | 2000年4月23日 |
○ | パリス・バシリコス | 2R 1:09 KO(右フック) | ISKA Championship Kickboxing 【ISKAムエタイ世界スーパーヘビー級タイトルマッチ】 |
2000年3月17日 |
× | アーネスト・ホースト | 2R 0:26 KO(右フック) | K-1 GRAND PRIX '99 決勝戦 【準決勝】 |
1999年12月5日 |
○ | ピーター・アーツ | 1R 1:11 KO(左フック) | K-1 GRAND PRIX '99 決勝戦 【準々決勝】 |
1999年12月5日 |
○ | マット・スケルトン | 1R 1:59 KO(右フック) | K-1 GRAND PRIX '99 開幕戦 【1回戦】 |
1999年10月3日 |
○ | ロブ・ファン・エスドンク | 1R KO | LES CHOCS DU MUAY-THAI | 1999年2月27日 |
○ | エスペディート・ダ・シルバ | 1R 0:52 KO(ハイキック) | アメリカ・ボクシング興行(キックボクシングルール) | 1998年9月19日 |
○ | サム・グレコ | 2R 3:07 KO(左ストレート) | K-1 DREAM '98 | 1998年7月18日 |
○ | コンバット・ジーヨ | 3R 2:52 TKO(左ストレート) | K-1 BRAVES '98 | 1998年5月24日 |
× | アーネスト・ホースト | 1R 1:15 KO(右ストレート) | K-1 GRAND PRIX '97 決勝戦 【準々決勝】 |
1997年11月9日 |
○ | リック・ルーファス | 3R 2:05 TKO(左ハイキック) | K-1 GRAND PRIX '97 開幕戦 【1回戦】 |
1997年9月7日 |
× | ピーター・アーツ | 2R 1:19 KO(右ハイキック) | K-1 DREAM '97 | 1997年7月20日 |
× | レイ・セフォー | 1R 1:13 KO(右フック) | K-1 BRAVES '97 | 1997年4月29日 |
○ | モーリス・スミス | 5R終了 判定 | サミー・ケプシー・ル・ショック・デ・モンド 【ISKAムエタイ世界スーパーヘビー級タイトルマッチ】 |
1997年2月1日 |
△ | サム・グレコ | 5R終了 判定0-1 | K-1 HERCULES '96 | 1996年12月8日 |
○ | アーネスト・ホースト | 2R 2:57 TKO(右フック) | K-1 STAR WARS '96 | 1996年10月18日 |
○ | タケル | 4R 2:49 KO(右フック) | K-1 REVENGE '96 | 1996年9月1日 |
○ | カーチス・シュースター | 5R終了 判定3-0 | フランス パリ 【ISKAムエタイ世界スーパーヘビー級タイトルマッチ】 |
1996年6月1日 |
× | ミルコ・クロコップ | 5R終了 判定0-3 | K-1 GRAND PRIX '96 開幕戦 【1回戦】 |
1996年3月10日 |
× | アンディ・フグ | 5R終了 判定0-3 | K-1 HERCULES | 1995年12月9日 |
○ | ジョニー・クレイン | 2R 1:10 KO(左ストレート) | K-1 REVENGE II | 1995年9月3日 |
× | ピーター・アーツ | 1R 1:37 KO(右ボディストレート) | K-1 GRAND PRIX '95 決勝戦 【決勝】 |
1995年5月4日 |
○ | マイク・ベルナルド | 2R 3:05 KO(右ローキック) | K-1 GRAND PRIX '95 決勝戦 【準決勝】 |
1995年5月4日 |
○ | 佐竹雅昭 | 3R 2:32 KO(左フック) | K-1 GRAND PRIX '95 決勝戦 【準々決勝】 |
1995年5月4日 |
○ | ノックウィー・デービー | 5R終了 判定3-0 | K-1 GRAND PRIX '95 開幕戦 【1回戦】 |
1995年3月3日 |
○ | マイク・ベルナルド | 判定3-0 | ISKAインターコンチネンタル・スーパーヘビー級王座戦 | 1995年3月より以前 |
○ | ステファン・レヴェヨン | KO | ISKAフランス・スーパーヘビー級王座戦 | ?
|
[編集] 総合格闘技
総合格闘技 戦績 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
5 試合 | (T)KO | 一本 | 判定 | その他 | 引き分け | 無効試合 |
3 勝 | 3 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 |
1 敗 | 0 | 1 | 0 | 0 |
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | イベント名 | 開催年月日 |
○ | ジミー・アンブリッツ | 1R 2:04 KO(右フック) | HERO'S 2006 | 2006年3月15日 |
○ | アラン・カラエフ | 2R 1:14 KO(左ミドルキック) | K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!! | 2005年12月31日 |
○ | 秋山成勲 | 1R 2:24 KO(左膝蹴り) | HERO'S | 2005年3月26日 |
△ | ボブ・サップ | 4R終了 ドロー | K-1 PREMIUM 2004 Dynamite!! 【K-1&総合格闘技MIXルール】 |
2004年12月31日 |
× | 安田忠夫 | 2R 2:10 ギロチンチョーク | INOKI BOM-BA-YE 2001 | 2001年12月31日 |
[編集] 人物・エピソード
- 父フィリップは“ノルマンディーの牡牛”の異名を持つ元プロボクシング国内王者。母は2004年8月に他界。祖母は中国人。祖先はケルト人であり、2002年からは入場する際にケルト人の末裔である事を意識した王様の様な赤いマントを着用して入場する事が度々あった。
- スタイルはサウスポーであるが、右利きである。いわゆるコンバーテッド・サウスポーであるが、これはブルース・リーにあやかってのもの。
- 公式ニックネームはジェロニモ。“ハイパー・バトルサイボーグ”という異名について本人は「“強ければいいと思っている血の通わないマシン”という印象を受けるあだ名だ。それより俺はジェロニモのような勇敢な戦士でありたい。」として嫌っていた時期もあったが、試合を控えてのインタビューでバンナ自ら「俺様は“ファイティング・サイボーグ”だ!どんな時でも戦って豪快に勝つぜ!!」と言う等、長年“バトルサイボーグ”と呼ばれているうちに愛着が生まれた事が伺える。また、近年に呼ばれ始めた“K-1の番長”というニックネームは気に入っている(“BANCHO”と書かれたTシャツを着ていた事もあった)。リングコールとしては、1999年のアーツ戦で試合前にマイケル・バッファーにジェロム“ジェロニモ”レ・バンナ、2000年のジョンソン戦と2007年のシュルト戦でジミー・レノン・ジュニアに“The hard hitting”ジェロム・レ・バンナとコールされた。上記の例を除いて、外国人リングアナがバンナをリングコールする時は“ハイパー・バトルサイボーグ”がコールされている。
- 自身の格闘技キャリアの中で好きな試合として2002年のマーク・ハントとの2戦を挙げている。
- マスコミやファンに向けたリップサービス交じりの景気の良いコメントが多い。バンナが大会の看板選手だった2001年のWORLD GP決勝戦の前にフジテレビで放送されたすぽると!では、「今日の俺の格言!」と題したコーナーで、過去から当時までのバンナのビッグマウスコメントを連日に渡って放送していた。
- K-1に対する熱意と愛情も人一倍深く熱い事でも知られている。1998年にプロボクシングに転向した際に、契約の問題等もあって干されていた所をK-1に救ってもらった事に対して恩義を感じており、「K-1は俺にとって皮膚みたいなもんだ。運命共同体なのさ。ファンとK-1のためなら俺の命を捧げる覚悟がある」と言い切る。その覚悟ゆえに、怪我などを抱えていてもK-1の興行を支えるために試合を受諾してしまう事がある。
- 総合格闘技については、そのK-1に対する愛情から当初は嫌っていたが、総合ルールの練習と試合をこなしていくうちに好きになっていったとの事。これからもK-1と併行して総合の試合をしていきたいようである。
- 前夫人とは別居生活が続いていたが、2005年2月に離婚。2006年末に再婚した。1999年生まれのヴィクトリアという一人娘がおり、時折自分の試合の観戦のために日本に同行させている。
- 以前までは人嫌いで「俺には娘がいればいい。友人などいない。常に孤独で闘ってきた」「今のK-1の連中は仲良しクラブみてえだ!」と語るなど一匹狼的な性格だった。インタビュー中に不機嫌になると貧乏揺すりをする癖があり、無愛想かつ短いコメントで済ます。しかし、当時から娘の事に話が移った際は途端に饒舌になる。試合用トランクスには必ずヴィクトリアの名前が刺繍してあり、左腕粉砕骨折の治療のため手術をした際にも、手術した左肘周辺にヴィクトリアの名前を刺青している。また、近年は他のファイターとも談笑するなど落ち着いてきたようである。
- 昔からファンに対しては感謝の念を度々口にしており、その対応は非常に紳士的である。試合前にもかかわらず、ホテルに押しかけたファンと共に食事に応じた事もある。フランスではキックボクシングが盛んではないためフランス国内での知名度が低い事もあって、日本で自分の知名度が比較的高いことを非常に喜んでおり、日本以外のマスコミからのインタビューでは「日本は素晴らしい国だから皆も来ると良いよ」と答える事も多く、日本に対する愛着が表れている。
- 動物好きであり、犬や亀、ポニー、ウサギ、アヒル、馬など様々な動物を飼育している。カレッジでは獣医学を学んでいた。動物好きになったのは友達のいない幼少期のバンナに、彼の母親が一匹の亀をプレゼントしたことがきっかけ。以来、彼は亀を自室の洋服箪笥の引き出しの中で飼う様になった。将来の夢は動物園の設立。
- 2006年頃から映画俳優としても活動している。アステリックスシリーズの最新作に出演した際には、友人であるアラン・ドロンとの共演も果たした。
- バンナといえば、その打たれ弱さが知られている。さんまのまんまにゲスト出演した亀田興毅がバンナの打たれ弱さを揶揄する発言をした事が有名。ファンの間でもバンナにはパンチドランカーの危惧がなされている。
[編集] 獲得タイトル
- ISKAフランス王座
- ISKAヨーロッパ王座
- ISKAインターコンチネンタル王座
- ISKAムエタイ世界スーパーヘビー級王座
- WKNムエタイ世界スーパーヘビー級王座
- K-1 GRAND PRIX '95 準優勝
- K-1 WORLD GP 2000 in NAGOYA 優勝
- K-1 WORLD GP 2001 in OSAKA 優勝
- K-1 WORLD GP 2002 準優勝