天田ヒロミ
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基本情報 | |
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本名 | 天田 広美 |
通称 | JAPANの特攻隊長 |
階級 | |
国籍 | 日本 |
誕生日 | 1973年5月10日(35歳) |
出身地 | 日本 |
命日 | |
死地 | |
スタイル | ボクシング |
プロキックボクシング戦績 | |
総試合数 | |
勝ち | |
KO勝ち | |
敗け | |
引き分け | |
無効試合 |
天田 ヒロミ(あまだ ひろみ、1973年5月10日 - )は、日本のキックボクサー。群馬県出身。身長185cm、体重105kg。コシ・トラスト所属。バックボーンはボクシング。家族は妻と2男。
アマチュアボクシング出身で、パンチを主体とした戦いをする。
目次 |
[編集] 来歴
10代の頃は暴走族に所属していたが、アマチュアボクシングと出会い更生(暴走族所属時代の写真が、天田の紹介VTRで必ずと言っていい程公開される)。高校時代には国体で優勝しており、中央大学ではボクシング部の主将を務めた。年間ストリートファイト365戦無敗とのこと。
K-1に参戦した当初は、体重も軽かった為、なかなか結果を出せなかった。
2000年にはK-1 JAPAN GPを準優勝。世界の壁の厚さに苦しみながらもK-1 JAPANの期待の選手と成長。
2003年11月3日、新日本プロレスに初参戦し、柴田勝頼とK-1ルールで対戦。1R早々にダウンを喫するも、その後猛攻を加えて、KO勝利を収めた。
K-1 JAPAN GP 2004では見事優勝を果たすも、2005年のJAPAN GPは肋骨骨折により1回戦敗退。
2006年7月30日、K-1 REVENGE 2006 K-1 WORLD GP 2006 in SAPPORO~アンディ・フグ七回忌追悼イベント~では、ハリッド"ディ・ファウスト"と対戦予定だったがハリッドが負傷したため対戦相手がフレディ・ケマイヨに変更。そのケマイヨに判定勝ち。
2007年3月4日、K-1 WORLD GP 2007 IN YOKOHAMAでは札幌大会で対戦予定だったハリッド"ディ・ファウスト"との対戦が決定するも、来日してから高熱が続いた為、ドクターストップ。対戦相手がグーカン・サキに変更される。試合は、サキの執拗なまでのローキックで2R終盤にスタンディングダウン、終了時にその場に倒れ込み、何とかコーナーに戻るもタオルが投入されTKO負け。
2007年5月に放映されたテレビ朝日系「GET SPORTS」の密着取材により、一度引退を決意し、2005年に格闘家活動続行にも理解のある不動産会社に就職していたが、2007年に経営悪化により半ば倒産状態になり社員契約解除となった。今後も現役選手を続けながら将来的にトレーナーを目指す意向とのことで、活動に理解のある再就職先を探しながらの格闘技活動であることが初めて公にされた。
2007年6月23日、K-1 WORLD GP 2007 IN AMSTERDAMでヨーロッパ・トーナメントに参戦。1回戦でポール・スロウィンスキーと対戦し、左ローキックでKO負け。
2007年10月25日午前3時30分ごろ、アルバイト先から帰宅する途中、東京都荒川区路上にて自転車を飲酒運転していた際、並走していたトラックの運転手に対し顔面を殴る暴行事件を起こした。
2008年3月9日、新日本キックボクシング協会「MAGNUM 16」でスウィーン・カーオ(タイ)の代わりにルスラン・カラエフと対戦。3Rに右膝蹴りでKO負け。計5回のダウンを奪われた。出場発表されたのが、大会の休憩時間中という緊急参戦であった。
[編集] 戦績
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | イベント名 | 開催年月日 |
× | ルスラン・カラエフ | 3R 2:06 KO(右膝蹴り、3ノックダウン) | 新日本キックボクシング協会「MAGNUM 16」 | 2008年3月9日 |
× | ポール・スロウィンスキー | 1R 1:50 KO(左ローキック) | K-1 WORLD GP 2007 IN AMSTERDAM 【EUROPE GP 1回戦】 |
2007年6月23日 |
○ | ウイル・リーバ | 3R終了 判定3-0 | 新日本キックボクシング協会「TITANS NEOS」 | 2007年4月22日 |
× | グーカン・サキ | 2R終了時 TKO(タオル投入) | K-1 WORLD GP 2007 IN YOKOHAMA | 2007年3月4日 |
○ | フレディ・ケマイヨ | 3分3R終了 判定2-0 | K-1 REVENGE 2006 K-1 WORLD GP 2006 in SAPPORO ~アンディ・フグ七回忌追悼イベント~ |
2006年7月30日 |
△ | ガオグライ・ゲーンノラシン | 3R終了 判定0-0 | 新日本キックボクシング協会「TITANS 3rd」 | 2006年4月28日 |
× | 富平辰文 | 延長R終了 判定1-2 | K-1 WORLD GP 2005 in HIROSHIMA 【JAPAN GP 1回戦】 |
2005年6月14日 |
× | ジェロム・レ・バンナ | 2R 1:03 KO(左ローキック) | K-1 WORLD GP 2004 決勝戦 【リザーブファイト】 |
2004年12月4日 |
× | レイ・セフォー | 3分3R終了 判定0-3 | K-1 WORLD GP 2004 in TOKYO 開幕戦 【1回戦】 |
2004年9月25日 |
○ | ノブ・ハヤシ | 3分3R終了 判定3-0 | K-1 BEAST 2004 in SHIZUOKA ~JAPAN GP 決勝トーナメント~ 【JAPAN GP 決勝】 |
2004年6月26日 |
○ | 富平辰文 | 3R 0:58 KO(右ストレート、2ノックダウン) | K-1 BEAST 2004 in SHIZUOKA ~JAPAN GP 決勝トーナメント~ 【JAPAN GP 準決勝】 |
2004年6月26日 |
○ | 内田ノボル | 3分3R終了 判定2-0 | K-1 BEAST 2004 in SHIZUOKA ~JAPAN GP 決勝トーナメント~ 【JAPAN GP 1回戦】 |
2004年6月26日 |
○ | バタービーン | 3分3R終了 判定3-0 | K-1 BEAST 2004 ~新潟初上陸~ | 2004年3月14日 |
○ | キモ | 2R 2:06 KO(左フック、3ノックダウン) | K-1 BURNING 2004 ~沖縄初上陸~ | 2004年2月15日 |
○ | 柴田勝頼 | 2R 2:08 KO(膝蹴り) | 新日本プロレス YOKOHAMA DEAD OUT 【K-1ルール】 |
2003年11月3日 |
× | 藤本祐介 | 3分3R終了 判定0-3 | K-1 SURVIVAL 2003 ~JAPAN GP 決勝戦~ 【JAPAN GP 準決勝】 |
2003年9月21日 |
○ | 中迫剛 | 3分3R+延長R終了 判定3-0 | K-1 SURVIVAL 2003 ~JAPAN GP 決勝戦~ 【JAPAN GP 1回戦】 |
2003年9月21日 |
○ | TSUYOSHI | 3分3R終了 判定2-0 | K-1 BEAST II 2003 【K-1 JAPAN GP 2003 出場決定戦】 |
2003年6月29日 |
○ | トム・エリクソン | 4R 1:14 KO(右フック) | K-1 BEAST 2003 ~山形初上陸~ | 2003年4月6日 |
× | 武蔵 | 延長R終了 判定0-2 | K-1 ANDY SPIRITS ~JAPAN GP 決勝戦~ 【JAPAN GP 1回戦】 |
2002年9月22日 |
○ | タケル | 1R 1:52 KO(パンチ連打、3ノックダウン) | K-1 BURNING 2002 ~広島初上陸~ 【K-1 JAPAN GP 2002 出場決定戦】 |
2002年4月21日 |
× | ジェロム・レ・バンナ | 1R 1:42 KO(右ストレート) | K-1 WORLD GP 2002 in NAGOYA | 2002年3月3日 |
○ | レネ・ローゼ | 1R 1:25 KO(パンチ連打) | K-1 RISING 2002 ~静岡初上陸~ | 2002年1月27日 |
× | マーク・ハント | 1R 2:52 KO(右フック) | K-1 WORLD GP 2001 in MELBOURNE 【OCEANIA GP 1回戦】 |
2001年6月16日 |
× | マイク・ベルナルド | 4R 1:32 TKO(タオル投入) | K-1 RISING 2001 ~四国初上陸~ | 2001年1月30日 |
△ | 大石亨 | 3分5R終了 判定0-1 | K-1 J・MAX | 2000年11月1日 |
× | ミルコ・クロコップ | 3分3R終了 判定0-3 | K-1 WORLD GP 2000 in FUKUOKA 【準決勝】 |
2000年10月9日 |
○ | トーマス・クチャゼウスキー | 1R 1:48 KO(右ストレート) | K-1 WORLD GP 2000 in FUKUOKA 【1回戦】 |
2000年10月9日 |
× | 武蔵 | 3分3R終了 判定0-3 | K-1 SPIRITS 2000 【JAPAN GP 2000 決勝】 |
2000年7月7日 |
○ | 滕軍 | 3分3R終了 判定3-0 | K-1 SPIRITS 2000 【JAPAN GP 2000 準決勝】 |
2000年7月7日 |
○ | 鈴木政司 | 3R 2:17 TKO(レフェリーストップ) | K-1 SPIRITS 2000 【JAPAN GP 2000 2回戦】 |
2000年7月7日 |
○ | 宮本正明 | 1R 2:19 KO(右脛骨折) | K-1 SURVIVAL 2000 【JAPAN GP 2000 1回戦】 |
2000年5月28日 |
× | ミルコ・クロコップ | 4R 2:51 KO(左ストレート) | K-1 BURNING 2000 | 2000年3月19日 |
○ | ノブ・ハヤシ | 3R 0:50 TKO(左まぶたのカット) | K-1 RISING 2000 | 2000年1月25日 |
× | アンディ・フグ | 1R 1:51 KO (右後ろ回し蹴り、3ノックダウン) |
K-1 GRAND PRIX '99 開幕戦 【1回戦】 |
1999年10月3日 |
× | 武蔵 | 3分3R終了 判定0-3 | K-1 SPIRITS '99 【K-1 JAPAN GP '99 準決勝】 |
1999年8月22日 |
○ | 滕軍 | 3分2R終了 判定2-0 | K-1 SPIRITS '99 【K-1 JAPAN GP '99 2回戦】 |
1999年8月22日 |
○ | 滝川リョウ | 1R 2:06 KO(2ノックダウン) | K-1 SPIRITS '99 【K-1 JAPAN GP '99 1回戦】 |
1999年8月22日 |
○ | クリス・バラード | 1R TKO | THE NIGHT OF GRADIATORS ~KING OF THE RING~(クロアチア) | 1999年7月10日 |
○ | サイモン・ドール | 3R 1:55 TKO(戦意喪失) | K-1 SURVIVAL '99 | 1999年6月6日 |
○ | ジョン・ワイアット | 3分5R終了 判定3-0 | K-1 THE CHALLENGE '99 | 1999年3月22日 |
[編集] 主な獲得タイトル
- K-1 JAPAN GP 2000 準優勝
- K-1 JAPAN GP 2004 優勝
[編集] ファイトスタイル
- K-1参戦初期は、ボクシングスタイルに固執し「キックはいらない」というコメントをしていたが、伊原道場でトレーニングを積み、キックも繰り出すようになった。
[編集] 人物
- 夫人の影響で、大の阪神タイガースファンとしても知られる。
- また、奥さんの名前もヒロミであるため、夫婦そろって天田ヒロミである。
- 双子の父親。