中迫剛
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基本情報 | |
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本名 | 中迫 剛 |
通称 | JAPANの伊達男 JAPANの貴公子 魔界のプリンス サコ |
階級 | ヘビー級(K-1) |
国籍 | 日本 |
誕生日 | 1974年1月29日(34歳) |
出身地 | 日本 大阪府豊中市 |
命日 | |
死地 | |
スタイル | 正道会館空手 |
プロキックボクシング戦績 | |
総試合数 | |
勝ち | |
KO勝ち | |
敗け | |
引き分け | |
無効試合 |
中迫 剛(なかさこ つよし、1974年1月29日 - )は、日本のキックボクサー。大阪府豊中市出身。身長190cm、体重100kg。ZEBRA244所属。バックボーンは空手。
K-1ヘビー級ファイターであり、長身でスタイリッシュなファイトスタイルが特徴で、JAPANの貴公子、魔界のプリンスのニックネームを持つ。表向きはクールに振る舞っていることが多いが、実は熱い大和魂を持つ熱血漢ファイターである。
2005年12月18日の試合から中迫 強とリングネームを改名した。
目次 |
[編集] 来歴
1998年にK-1デビューを果たし、同年のJAPAN GPでいきなりの準優勝。佐竹雅昭、武蔵に次ぐJAPANのエースと期待されたものの、なかなか結果を残せなかった。
2002年1月27日、2001年WORLD GP王者マーク・ハントと対戦。右ハイキックでハントから生涯初のダウンを奪う。それだけに止まらず、左ハイキックでハントをKO寸前にまで追いつめるも、ハントに3回ダウンを奪い返され、KO負け。これだけでなく2002年の中迫は、ボブ・サップとの試合で、サップの反則ファイトに真っ向から立ち向かい殴り合ったり(この試合は中迫の反則勝ち)、JAPAN GPで好調に勝ち進み、決勝戦で武蔵と最後まで互角に渡り合った。
だが、その後2003年からまたもや低迷期に入る。2004年は、武蔵不在のJAPANグランプリで優勝候補と称されるも、全く良いところなく初戦敗退するなど、散々な結果であった。
2005年6月14日、K-1 JAPAN GPの1回戦で後輩に当たる堀啓と対戦。2001年の子安慎悟戦で見せたような気迫で真っ向勝負を挑んだが、判定負け。
2005年12月18日、立ち技格闘技大会「R.I.S.E. DEAD OR ALIVE TOURNAMENT '05」のスペシャルワンマッチに出場し、百瀬竜徳と対戦しドローに終わる。この試合からリングネームを中迫 強に改名。
2006年6月3日、K-1 WORLD GP 2006 in SEOULで行われたASIA GPに参戦。1回戦でガオグライ・ゲーンノラシンと対戦し、ダウンを奪い判定勝利。3度目の対戦でようやくリベンジを果たした。しかし、準決勝では藤本祐介に足の負傷もあってか、判定負け。
さらに、同年7月に開催された「K-1 REVENGE 2006」でワンマッチで出場し、ビヨン・ブレギーと対戦したが、ブレギーの圧倒的なパワーの前に、ほとんど何もできずに1ラウンドでKO負け。
2007年3月4日、「K-1 WORLD GP 2007 IN YOKOHAMA」でザビット・サメドフと対戦するも判定負け。試合後に「膝に水が溜まり満足に練習出来なかった」とコメントした。
2007年8月11日、「K-1 WORLD GP 2007 IN LAS VEGAS」でアレキサンダー・ピチュクノフと対戦し、判定負け。
2007年12月22日、チームドラゴン主催興行で強太郎レンジャーと対戦し、KO負け。
2008年4月13日、K-1 WORLD GP 2008 IN YOKOHAMAのオープニングファイトで佐藤匠と対戦し、判定勝ち。
[編集] 得意技
日本人離れした長い手足を活かした空手ベースの打撃を得意とする。
- PTS(パワー・トルネード・サコ)・・・マイク・ベルナルド戦前に生み出した必殺技らしい。披露する前にマットに沈められてしまったため、未だ謎のベールに包まれている。
[編集] 人物
- 試合中は、淡々と攻めることが多い。彼に足りないのは、技術的なところもそうだが、何よりもまず気迫である。失神KO負けがほとんど無く、いつも悔しげな表情で仰向けに倒れこみ、必ず起き上がるダウンなので、中迫がダウンする試合は盛り上がる。
- メンタル面での弱さが長年の課題。試合前インタビューでは、闘志を見せる言動を必ずしている(「『世界に一つだけの花』は、僕らの世界では綺麗事。一番にならなければ意味が無い」、「鬼になる、ヒールになる」など)が、その言動と試合内容との乖離が目立ちがちである。
- ヒップホップ好きで、ファッションも典型的なB-BOYファッションである。
- 現在はヒップホップ好きで知られているが、空手を始める前はヘヴィメタル好きであった(ファッションもロッカーのファッションだった)。
- B級映画や漫画への造詣も深い(かなり「サブカル」傾倒の向きが散見される)。
- 本職はファーストフード店マクドナルドの店長であると噂されているが、真相は不明である。この噂は現にK-1ファイターのTATSUJIも自身のブログで語っており、単なるネタの次元ではない。
[編集] 戦績
キックボクシング 戦績 | ||||||
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44 試合 | (T)KO | 判定 | その他 | 引き分け | 無効試合 | |
18 勝 | 7 | 10 | 1 | 1 | 0 | |
25 敗 | 11 | 14 | 0 |
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | イベント名 | 開催年月日 |
○ | 佐藤匠 | 3R終了 判定3-0 | K-1 WORLD GP 2008 IN YOKOHAMA 【オープニングファイト】 |
2008年4月13日 |
× | 強太郎レンジャー | 2R 3:07 KO(右フック) | 燃えろドラゴン!その壱 | 2007年12月22日 |
× | アレキサンダー・ピチュクノフ | 3R終了 判定0-3 | K-1 WORLD GP 2007 IN LAS VEGAS 【世界最終予選 1回戦】 |
2007年8月11日 |
× | ザビット・サメドフ | 3R終了 判定0-2 | K-1 WORLD GP 2007 IN YOKOHAMA | 2007年3月4日 |
× | ビヨン・ブレギー | 1R 2:35 KO(右膝蹴り) | K-1 REVENGE 2006 K-1 WORLD GP 2006 in SAPPORO ~アンディ・フグ七回忌追悼イベント~ |
2006年7月30日 |
× | 藤本祐介 | 3R終了 判定0-2 | K-1 WORLD GP 2006 in SEOUL 【ASIA GP 準決勝】 |
2006年6月3日 |
○ | ガオグライ・ゲーンノラシン | 3R終了 判定3-0 | K-1 WORLD GP 2006 in SEOUL 【ASIA GP 1回戦】 |
2006年6月3日 |
× | ガオグライ・ゲーンノラシン | 3R終了 判定0-3 | 新日本キックボクシング協会「TITANS 2nd」 | 2005年8月22日 |
× | 堀啓 | 3R終了 判定0-3 | K-1 WORLD GP 2005 in HIROSHIMA | 2005年6月14日 |
× | マーク・セルビー | 3R終了 判定0-3 | K-1 WORLD GP 2005 in LAS VEGAS | 2005年4月30日 |
× | ガオグライ・ゲーンノラシン | 3R終了 判定0-2 | K-1 WORLD GP 2004 in SEOUL 【ASIA GP 準決勝】 |
2004年7月17日 |
○ | イ・ミョンジュ | 3R終了 判定3-0 | K-1 WORLD GP 2004 in SEOUL 【ASIA GP 1回戦】 |
2004年7月17日 |
× | ノブ・ハヤシ | 3R終了 判定0-3 | K-1 BEAST 2004 in SHIZUOKA ~JAPAN GP 決勝トーナメント~ 【JAPAN GP 1回戦】 |
2004年6月26日 |
○ | マーブリック | 1R 1:30 KO(右フック) | K-1 BEAST 2004 ~新潟初上陸~ | 2004年3月14日 |
× | レミー・ボンヤスキー | 3R 2:54 KO(左ハイキック、3ノックダウン) | K-1 BURNING 2004 ~沖縄初上陸~ | 2004年2月15日 |
× | 天田ヒロミ | 延長R終了 判定0-3 | K-1 SURVIVAL 2003 | 2003年9月21日 |
× | ピーター・アーツ | 2R 1:42 KO(右ハイキック、2ノックダウン) | K-1 BEAST II 2003 | 2006年6月29日 |
× | マイク・ベルナルド | 2R 1:01 TKO(タオル投入) | K-1 BEAST 2003 ~山形初上陸~ | 2003年4月6日 |
× | 武蔵 | 再延長R終了 判定0-3 | K-1 ANDY SPIRITS 2002 ~JAPAN GP 決勝戦~ 【K-1 JAPAN GP 決勝】 |
2002年9月22日 |
○ | 藤本祐介 | 2R 2:18 KO(左フック) | K-1 ANDY SPIRITS 2002 ~JAPAN GP 決勝戦~ 【K-1 JAPAN GP 準決勝】 |
2002年9月22日 |
○ | 野地竜太 | 3R終了 判定3-0 | K-1 ANDY SPIRITS 2002 ~JAPAN GP 決勝戦~ 【K-1 JAPAN GP 1回戦】 |
2002年9月22日 |
○ | ボブ・サップ | 1R 1:30 反則失格(倒れた相手への攻撃) | K-1 SURVIVAL 2002 ~富山初上陸~ | 2002年6月2日 |
× | アーネスト・ホースト | 1R 1:46 KO(パンチ連打、3ノックダウン) | K-1 BURNING 2002 ~広島初上陸~ | 2002年4月21日 |
× | マーク・ハント | 2R 2:55 KO(右フック、3ノックダウン) | K-1 RISING 2002 ~静岡初上陸~ | 2002年1月27日 |
× | 武蔵 | 3R終了 判定0-3 | K-1 ANDY MEMORIAL 2001 ~JAPAN GP 決勝戦~ 【K-1 JAPAN GP 準決勝】 |
2001年8月19日 |
○ | グレート草津 | 3R終了 判定3-0 | K-1 ANDY MEMORIAL 2001 ~JAPAN GP 決勝戦~ 【K-1 JAPAN GP 準々決勝】 |
2001年8月19日 |
○ | 子安慎悟 | 3R終了 判定3-0 | K-1 SURVIVAL 2001 ~JAPAN GP 開幕戦~ 【K-1 JAPAN GP 1回戦】 |
2001年6月24日 |
× | グラウベ・フェイトーザ | 2R 0:57 KO(左ハイキック) | K-1 GRADIATORS 2001 | 2001年3月17日 |
× | 大石亨 | 3R終了 判定0-2 | K-1 RISING 2001 ~四国初上陸~ | 2001年1月30日 |
× | フランシスコ・フィリォ | 3R終了 判定0-3 | K-1 WORLD GP 2000 in YOKOHAMA | 2000年8月20日 |
× | 安虎 | 3R 0:45 KO(タオル投入) | K-1 SPIRITS 2000 【K-1 JAPAN GP 準々決勝】 |
2000年7月7日 |
○ | 内田ノボル | 3R終了 判定3-0 | K-1 SURVIVAL 2000 【K-1 JAPAN GP 1回戦】 |
2000年5月28日 |
△ | スタン・ザ・マン | 5R終了 判定0-1 | K-1 BURNING 2000 | 2000年3月19日 |
○ | マーティン・シモンズ | 3R終了 判定3-0 | K-1 RISING 2000 | 2000年1月25日 |
× | ノブ・ハヤシ | 3R終了 判定0-2 | K-1 SPIRITS '99 【K-1 JAPAN GP 準決勝】 |
1999年8月22日 |
○ | 大石亨 | 2R終了 判定2-0 | K-1 SPIRITS '99 【K-1 JAPAN GP 準々決勝】 |
1999年8月22日 |
○ | 安部康博 | 延長R終了 判定3-0 | K-1 SPIRITS '99 【K-1 JAPAN GP 1回戦】 |
1999年8月22日 |
○ | トファン・ピラーニ | 1R 0:45 KO(右ストレート) | K-1 DREAM '99 | 1999年7月18日 |
○ | デューウィー・クーパー | 2R 2:44 KO(右ハイキック) | K-1 THE CHALLENGE '99 | 1999年3月22日 |
× | アンディ・フグ | 2R 0:22 KO(上段右後ろ回し蹴り) | K-1 RISING SUN '99 | 1999年2月3日 |
× | スタン・ザ・マン | 4R 0:30 TKO(鼻骨骨折) | K-1 JAPAN '98 ~神風~ | 1998年10月28日 |
× | 佐竹雅昭 | 3R終了 判定0-2 | K-1 BUSHIDO '98 【K-1 JAPAN GP 決勝】 |
1998年8月28日 |
○ | 滝川リョウ | 1R 0:56 KO(右ハイキック) | K-1 BUSHIDO '98 【K-1 JAPAN GP 準決勝】 |
1998年8月28日 |
○ | 長井満也 | 2R 2:55 TKO(左ミドルキック、2ノックダウン) | K-1 BUSHIDO '98 【K-1 JAPAN GP 1回戦】 |
1998年8月28日 |
○ | ピア・ゲネット | 2R 2:14 KO(右フック) | K-1 BRAVES '98 | 1998年5月24日 |
[編集] 主な獲得タイトル
- K-1 JAPAN GP 1998 準優勝
- K-1 JAPAN GP 2002 準優勝