ビヨン・ブレギー
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基本情報 | |
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本名 | ビヨン・ブレギー |
通称 | アルペン・タワー アンディ・フグの後継者 |
階級 | スーパーヘビー級(K-1) |
国籍 | スイス |
誕生日 | 1974年9月30日(33歳) |
出身地 | スイス |
命日 | |
死地 | |
スタイル | 空手 |
プロキックボクシング戦績 | |
総試合数 | |
勝ち | |
KO勝ち | |
敗け | |
引き分け | |
無効試合 |
ビヨン・ブレギー(Bjorn Bregy、1974年9月30日 - )は、スイス出身の空手家、キックボクサー。マイクスジム所属。身長202cm、体重114kgというその巨漢から、「アルペン・タワー」の異名を持つ。「アンディ・フグの後継者」とも呼ばれる。バックボーンは空手。
目次 |
[編集] 来歴
スイス出身のK-1ファイターアンディ・フグの戦いぶりに感動し、格闘技を始めた。遅咲きのファイターであり、郵便局員として働きながらプロとして地道に活動していたが、2006年を迎えるまで日の目を見ることができなかった。
現在郵便局員は辞めており、格闘家一本である。以降1日7時間もの練習を毎日行っているという。
2003年5月30日、K-1 WORLD GP 2003 in Baselで行われたトーナメントの決勝でジェレル・ヴェネチアンと対戦。準決勝までの激闘で右脚にダメージを負っていたため、1Rに1回、2Rに2回、3Rに1回とダウンしてしまったが、3R終了まで戦い抜いた。大差の判定負けを喫し、準優勝に終わる。しかし、試合後のIOCのドーピング検査で、ヴェネチアンが陽性反応を示したために失格となり、失格勝ちと変更された(同年のGP開幕戦にはヴェネチアンが出場)。
2006年5月13日、K-1 WORLD GP 2006 in AMSTERDAMでは全試合KOで優勝。同年9月30日のGP開幕戦では、王者セーム・シュルトと対戦。ジャブ気味の左ストレートで3回ダウンを奪われKO負け、病院送りにされた。
2007年8月11日、K-1 WORLD GP 2007 IN LAS VEGASでレイ・セフォーと対戦し、判定勝ち。
2008年2月9日、K-1 WORLD GP 2008 in BUDAPESTでポーラ・マタエレと対戦し、2RKO勝ち。
2008年4月26日、K-1 WORLD GP 2008 IN AMSTERDAMの準々決勝でヤン"ザ・ジャイアント"ノルキヤを下すも、準決勝でエロール・ジマーマンとダウンを奪い合う接戦を繰り広げ、最後は左フックでKO負け。
[編集] 戦績
キックボクシング 戦績 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
28 試合 | (T)KO | 判定 | その他 | 引き分け | 無効試合 | |
19 勝 | 14 | 4 | 1 | 0 | 1 | |
8 敗 | 7 | 1 | 0 |
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | イベント名 | 開催年月日 |
× | ダニエル・ギタ | 判定 | Local Kombat 30 | 2008年6月6日 |
○ | アンドリュー・ヤンセン | TKO | Gentleman Fight Night | 2008年5月24日 |
× | エロール・ジマーマン | 3R 2:59 KO(左フック) | K-1 WORLD GP 2008 IN AMSTERDAM 【EUROPE GP 準決勝】 |
2008年4月26日 |
○ | ヤン"ザ・ジャイアント"ノルキヤ | 1R 1:10 KO(右ストレート) | K-1 WORLD GP 2008 IN AMSTERDAM 【EUROPE GP 準々決勝】 |
2008年4月26日 |
○ | ポーラ・マタエレ | 2R 1:12 KO(右ストレート) | K-1 WORLD GP 2008 in BUDAPEST 【EUROPE GP 1回戦】 |
2008年2月9日 |
○ | レイ・セフォー | 3R終了 判定2-1 | K-1 WORLD GP 2007 IN LAS VEGAS | 2007年8月11日 |
× | ポール・スロウィンスキー | 2R 2:25 KO(右フック) | K-1 WORLD GP 2007 IN AMSTERDAM 【EUROPE GP 決勝】 |
2007年6月23日 |
○ | マゴメド・マゴメドフ | 2R 2:12 KO(右ストレート) | K-1 WORLD GP 2007 IN AMSTERDAM 【EUROPE GP 準決勝】 |
2007年6月23日 |
○ | ブレック・ウォリス | 3R終了 判定3-0 | K-1 WORLD GP 2007 IN AMSTERDAM 【EUROPE GP 1回戦】 |
2007年6月23日 |
× | アジス・ジャジャ | TKO(脛カット) | Balans Fight Night | 2007年4月7日 |
× | セーム・シュルト | 1R 2:21 KO(左ストレート) | K-1 WORLD GP 2006 in OSAKA 開幕戦 【1回戦】 |
2006年9月30日 |
○ | 中迫強 | 1R 2:35 KO(右膝蹴り) | K-1 REVENGE 2006 K-1 WORLD GP 2006 in SAPPORO 〜アンディ・フグ七回忌追悼イベント〜 |
2006年7月30日 |
○ | グーカン・サキ | 1R 1:44 KO(左フック) | K-1 WORLD GP 2006 in AMSTERDAM 【EUROPE GP 決勝】 |
2006年5月13日 |
○ | ナオフォール“アイアン・レッグ” | 2R 1:40 KO(右膝蹴り) | K-1 WORLD GP 2006 in AMSTERDAM 【EUROPE GP 準決勝】 |
2006年5月13日 |
○ | フレディ・ケマイヨ | 3R 1:10 KO(右ストレート) | K-1 WORLD GP 2006 in AMSTERDAM 【EUROPE GP 1回戦】 |
2006年5月13日 |
- | アレクサンダー・ウスティノフ | ノーコンテスト(金的攻撃) | NOC BOJOVNIKOV(スロバキア) | 2006年2月16日 |
○ | ゲーリー・ターナー | 3R終了 判定3-0 | K-1 Fighting Network K-1 SCANDINAVIA 2005 【決勝】 |
2005年5月21日 |
○ | デニス・グリゴリフ | 2R 2:15 TKO | K-1 Fighting Network K-1 SCANDINAVIA 2005 【準決勝】 |
2005年5月21日 |
○ | パヴェル・マイヤー | 3R 2:49 KO | K-1 Fighting Network K-1 SCANDINAVIA 2005 【1回戦】 |
2005年5月21日 |
○ | アレクセイ・イグナショフ | 3R KO(膝負傷) | オランダ | 2005年2月13日 |
× | カーター・ウィリアムス | 2R 2:50 KO(パンチ連打) | K-1 WORLD GP 2003 決勝戦 【リザーブファイト】 |
2003年12月6日 |
○ | マイケル・マクドナルド | 1R 2:50 KO(右ストレート、3ノックダウン) | K-1 WORLD GP 2003 開幕戦 ALL STARS 【スーパーファイト】 |
2003年10月11日 |
○ | ジェレル・ヴェネチアン | 3R終了 失格(薬物使用) | K-1 WORLD GP 2003 in Basel 【決勝】 |
2003年5月30日 |
○ | ゲーリー・ターナー | 3R終了 判定2-0 | K-1 WORLD GP 2003 in Basel 【準決勝】 |
2003年5月30日 |
○ | ドナバン・ラブ | 1R 2:02 TKO | K-1 WORLD GP 2003 in Basel 【1回戦】 |
2003年5月30日 |
× | レミー・ボンヤスキー | 3R 1:29 TKO(タオル投入) | K-1 WORLD GP 2003 in SAITAMA | 2003年3月30日 |
× | アレクセイ・イグナショフ | 5R 2:12 KO(右ハイキック) | K-1 WORLD GP 2002 in PARIS | 2002年5月25日 |
× | ロイド・ヴァン・ダム | 3R終了 判定0-3 | K-1 WORLD GP 2001 in NAGOYA | 2001年7月20日 |
× | ドラゼン・オルドゥリ | 1R TKO | K-1 WORLD GP 〜ヨーロッパ&ロシア地区C予選 | 2000年9月1日 |
○ | ラインハード・ウルツ | 2R KO | K-1 Fight Night 2000 | 2000年6月3日 |
[編集] 主な獲得タイトル
- K-1 WORLD GP 2006 in AMSTERDAM 優勝
- K-1 WORLD GP 2007 IN AMSTERDAM 準優勝