ステファン・レコ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
[[画像:|200px]] |
|
基本情報 | |
---|---|
本名 | ステファン・レコ |
通称 | 欧州の稲妻 欧州最強の伊達男 ブリッツ |
階級 | ヘビー級(K-1) |
国籍 | クロアチア |
誕生日 | 1974年6月3日(34歳) |
出身地 | ドイツ |
命日 | |
死地 | |
スタイル | キックボクシング |
プロキックボクシング戦績 | |
総試合数 | |
勝ち | |
KO勝ち | |
敗け | |
引き分け | |
無効試合 |
ステファン"ブリッツ"レコ(Stefan "BLITZ" Leko、1974年6月3日 - )は、ドイツ クレフェルト出身(現クロアチア国籍)のキックボクサー。ゴールデン・グローリー所属。身長187cm、体重98kg。血液型A型。モデルのような甘いマスクながら、超一流のテクニックを持ち合わせている。
ブリッツ(ドイツ語で稲妻の意)の異名通り、稲妻の如く鋭い右ストレートが最大の武器。そのほかバックハンドブロー、バックスピンキックなどの即効性のある技をカウンター気味に繰り出し、KOの山を築いてきた。また「欧州の稲妻」とも呼ばれる。
ちなみに、所属ジムをゴールデン・グローリーに変えたあたりから髪型をブリッツヘアーにしている。同じくゴールデン・グローリー所属のヒース・ヒーリングの影響が大きいと思われる。格闘家の友人が多いことでも有名。
目次 |
[編集] 来歴
[編集] K-1時代
来日当初はK-1のリングに参戦、初期から次世代を担う選手として期待される。ヘビー級トップクラスのスピードとテクニックを持ち味に、GP予選で優勝したりするなど、期待通りの活躍を見せてはいたが、トップファイターにはあと一歩及ばず、伸び悩んでいた。
しかし21世紀に入ってボクシング技術の向上を図ったり、所属ジムをマスターズジムからゴールデン・グローリーに移すなどしたのが実を結んだのか、ようやくその真の実力を発揮し始め、ピーター・アーツ、レミー・ボンヤスキー、アレクセイ・イグナショフ、マイク・ベルナルド、フランシスコ・フィリォらに白星を挙げ、快進撃を続ける。
2000年10月9日、K-1 WORLD GP 2000 in FUKUOKAのトーナメント1回戦でアンドリュー・トムソンに右ローキックでKO勝ちするも、右拳骨折のためマイク・ベルナルドとの準決勝を辞退した。ジェロム・レ・バンナの欠場により、12月10日の決勝トーナメントに参戦。1回戦でフランシスコ・フィリォと対戦し、判定負け。
2003年に入ると、ピーター・アーツにTKO勝ち、マイク・ベルナルド、フランシスコ・フィリォに判定勝ちと連勝を重ね、K-1 WORLD GP 2003の決勝戦では優勝候補最有力とまで言われていたが、主催者(FEG)との契約が合意に至らず、決勝大会直前に棄権することになった。
[編集] PRIDE時代
2003年のトラブル以後、その陰を潜めていたが、2004年に総合格闘技PRIDEのリングに登場、同年開催のヘビー級GPに電撃参戦を果たす。
2004年4月25日、PRIDE GRANDPRIX 2004 開幕戦の1回戦で小川直也と対戦、スタンドで左フックを受けダウンし肩固めによるタップアウト負けを喫する。
その後も美濃輪育久に開始27秒ヒールホールドで一本負け、中村和裕にはパウンドによるTKO負けで連敗を喫し、友人であるミルコ・クロコップにも「PRIDEでは生き残れないからK-1に戻れ」と忠告を受けるなど、PRIDEでは3戦3敗となった。
[編集] K-1復帰〜現在
2005年5月14日、ルーマニアのブダペストで行われたWKNフリースタイル世界スーパーヘビー級王者決定戦で、Florian OGUNADE(ドイツ)を3RTKOで下し王者になる。立ち技復帰戦は白星スタート。6月12日、オランダの格闘技イベントIt's Showtimeにおいて久々のキックルールでバダ・ハリと試合を行う。レコはバックスピンキックをハリのレバーに突き刺し、KO勝ちを飾った。11月19日、K-1 WORLD GP 2005 in TOKYO 決勝戦のリザーブファイトでK-1に復帰。6月に続き、再びハリと対戦するも、この試合は2Rにハリの右バックスピンキックを顔面に受け失神KO負けした。
2006年4月29日、K-1 WORLD GP 2006 in LAS VEGASでルスラン・カラエフと対戦。2度ダウンを奪われるが、3R終了間際に得意の右ストレートでダウンを奪い返すも、判定負け。8月12日、K-1 WORLD GP 2006 in LAS VEGAS IIで行われた世界最終予選を全試合KOで制し、4年ぶりに東京ドーム行きのチケットを手に入れた。9月30日のGP開幕戦ではレイ・セフォーに僅差の判定勝ち。12月2日のGP準々決勝ではレミー・ボンヤスキーに2度も下腹部に蹴りを入れてしまう。ダメージを負ったレミーを追い詰めるもカウンターをくらいダウンを奪われ、パンチのコンビネーションやバックブローも虚しく判定負けを喫した。レミーが前述のダメージにより準決勝出場にドクター・ストップがかかるも、自身も足を負傷しておりドクター・ストップとなった。試合後のインタビューでは、リスタートが2度もあったためモチベーションを保つのが大変だったとコメントし、風邪気味でベストな状態でなかったことも明かしていた。
2007年3月10日、K-1クロアチア大会にて新星マゴメド・マゴメドフに僅差の判定負け。5月4日、K-1ルーマニア大会にてカタリン・モロサヌに判定勝ち。8月11日、K-1 WORLD GP 2007 IN LAS VEGASでマイティ・モーと対戦し、判定勝ち。9月29日、K-1 WORLD GP 2007 IN SEOUL FINAL16にてレミー・ボンヤスキーと対戦。右跳び膝蹴りでダウンを奪われ立ち上がるも、レフェリーが試合続行不可能と判定しTKO負け。レコはこれに抗議したが聞き入れられなかった。
2008年1月12日、セルビアで行われたLord Of Ringにてマイケル・アンドレードと対戦しKO勝ち。なお試合後レコは膝の手術のため最低7ヶ月はリングから遠ざかることを宣言した。
[編集] 戦績
[編集] キックボクシング
- キックボクシング: 64戦 49勝 29KO 13敗 1分 1無効試合
- K-1: 21戦 11勝 7KO 9敗 1無効試合
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | イベント名 | 開催年月日 |
○ | マイケル・アンドレード | 2R KO(パンチラッシュ) | Load Of Ring | 2008年1月12日 |
× | レミー・ボンヤスキー | 1R 2:50 KO(右跳び膝蹴り) | K-1 WORLD GP 2007 IN SEOUL FINAL16 【1回戦】 |
2007年9月29日 |
○ | マイティ・モー | 3R終了 判定3-0 | K-1 WORLD GP 2007 IN LAS VEGAS 【スーパーファイト】 |
2007年8月11日 |
○ | カタリン・モロサヌ | 3R終了 判定3-0 | K-1 Romania | 2007年5月4日 |
× | マゴメド・マゴメドフ | 延長R終了 判定0-3 | K-1 Croatia | 2007年3月10日 |
× | レミー・ボンヤスキー | 3R終了 判定0-3 | K-1 WORLD GP 2006 in TOKYO 決勝戦 【準々決勝】 |
2006年12月2日 |
○ | レイ・セフォー | 延長R終了 判定3-0 | K-1 WORLD GP 2006 in OSAKA 開幕戦 【1回戦】 |
2006年9月30日 |
○ | マイケル・マクドナルド | 2R 2:28 TKO(戦意喪失) | K-1 WORLD GP 2006 in LAS VEGAS II 【決勝】 |
2006年8月12日 |
○ | カーター・ウィリアムス | 1R 2:40 KO(右バックキック) | K-1 WORLD GP 2006 in LAS VEGAS II 【準決勝】 |
2006年8月12日 |
○ | スコット・ライティ | 3R 0:58 TKO(左右のフック連打) | K-1 WORLD GP 2006 in LAS VEGAS II 【1回戦】 |
2006年8月12日 |
× | ルスラン・カラエフ | 3R終了 判定0-3 | K-1 WORLD GP 2006 in LAS VEGAS | 2006年4月29日 |
× | バダ・ハリ | 2R 1:30 KO(右後ろ回し蹴り) | K-1 WORLD GP 2005 in TOKYO 決勝戦 【リザーブファイト】 |
2005年11月19日 |
○ | バダ・ハリ | 1R 1:44 KO(右後ろ回し蹴り) | It's Showtime | 2005年6月12日 |
○ | Florian OGUNADE | 3R TKO | WKN | 2005年5月14日 |
○ | 村上和成 | 1R 1:08 KO(右ハイキック) | INOKI BOM-BA-YE 2003【立技ルール】 | 2003年12月31日 |
○ | フランシスコ・フィリォ | 3R終了 判定3-0 | K-1 WORLD GP 2003 開幕戦 ALL STARS 【1回戦】 |
2003年10月11日 |
○ | マイク・ベルナルド | 5R終了 判定3-0 | K-1 WORLD GP 2003 in Basel 【スーパーファイト】 |
2003年5月30日 |
○ | ピーター・アーツ | 3R 1:44 TKO(タオル投入) | K-1 WORLD GP 2003 in SAITAMA | 2003年3月30日 |
× | マーク・ハント | 3R 1:16 KO(左フック) | K-1 WORLD GP 2002 決勝戦 【準々決勝】 |
2002年12月7日 |
× | アーネスト・ホースト | 1R 1:48 KO(左フック) | K-1 WORLD GP 2002 in PARIS | 2002年5月25日 |
○ | レミー・ボンヤスキー | 5R終了 判定3-0 | K-1 WORLD GP in LAS VEGAS | 2002年8月17日 |
× | マーク・ハント | 3R終了 判定0-3 | K-1 WORLD GP 2001 決勝戦 【準決勝】 |
2001年12月8日 |
× | アーネスト・ホースト | 3R終了 判定0-3 | K-1 WORLD GP 2001 決勝戦 【準々決勝】 |
2001年12月8日 |
○ | ピーター・アーツ | 3R 2:05 KO(右ストレート) | K-1 WORLD GP 2001 in LAS VEGAS 【決勝】 |
2001年8月11日 |
○ | セルゲイ・イバノビッチ | 2R終了時 TKO(左足負傷) | K-1 WORLD GP 2001 in LAS VEGAS 【準決勝】 |
2001年8月11日 |
○ | ジェフ・ルーファス | 2R 2:34 TKO(右アッパー) | K-1 WORLD GP 2001 in LAS VEGAS 【1回戦】 |
2001年8月11日 |
× | ジェロム・レ・バンナ | 5R終了 判定0-3 | K-1 SURVIVAL 2001 〜K-1 JAPAN GP 開幕戦〜 【スーパーファイト】 |
2001年6月24日 |
- | マーク・デ・ウィット | ノーコンテスト | K-1 WORLD GP 2001 世界地区予選 ドイツ大会 | 2001年5月20日 |
× | ユルゲン・クルト | 2R KO | K-1 GLADIATORS 2001 | 2001年3月17日 |
○ | アレクセイ・イグナショフ | 5R 反則 | K-1 WORLD GP 2001 世界地区予選 オランダ大会 | 2001年2月4日 |
× | フランシスコ・フィリォ | 3R+再延長R終了 判定0-3 | K-1 WORLD GP 2000 決勝戦 【準々決勝】 |
2000年12月10日 |
○ | アンドリュー・トムソン | 2R 1:50 KO(右ローキック) | K-1 WORLD GP 2000 in FUKUOKA 【1回戦】 |
2000年10月9日 |
○ | リッキー・ニッケルソン | 判定3-0 | K-1 FIGHT NIGHT 2000 | 2000年6月3日 |
○ | ジャビット・バイラミ | 3R終了 判定2-0 | K-1 FIGHT NIGHT 2000 | 2000年4月23日 |
○ | ハリー・ホーフト | 1R 2:37 KO(右バックキック) | K-1 GRAND PRIX '99 決勝戦 | 1999年12月5日 |
× | サム・グレコ | 3R 2:35 判定0-2 | K-1 GRAND PRIX '99 開幕戦 【1回戦】 |
1999年10月3日 |
○ | サミール・ベナゾーズ | 1R 2:45 KO(右ローキック) | K-1 DREAM '99 【決勝】 |
1999年7月18日 |
○ | シリル・アビディ | 3R終了 判定3-0 | K-1 DREAM '99 【準決勝】 |
1999年7月18日 |
○ | フィリップ・ゴミス | 1R 2:56 KO(右ストレート) | K-1 DREAM '99 【1回戦】 |
1999年7月18日 |
× | アンディ・フグ | 5R終了 判定0-3 | K-1 FIGHT NIGHT '99 【WKA世界ムエタイスーパーヘビー級タイトルマッチ】 |
1999年6月5日 |
× | レイ・セフォー | 5R終了 判定0-3 | K-1 GRAND PRIX '98 開幕戦 【1回戦】 |
1998年9月27日 |
○ | ニコラス・ペタス | 2R 1:09 TKO(右ストレート) | K-1 DREAM '98 | 1998年7月18日 |
○ | ロブ・ファン・エスドンク | 3R 1:57 KO(右フック) | K-1 FIGHT NIGHT '98 【EUROPEAN GP 決勝】 |
1998年6月6日 |
○ | レイ・ホフマン | 2R 2:07 KO(右フック) | K-1 FIGHT NIGHT '98 【EUROPEAN GP 準決勝】 |
1998年6月6日 |
○ | ピーター・マエストロビッチ | 3R+延長R終了 判定 | K-1 FIGHT NIGHT '98 【EUROPEAN GP 1回戦】 |
1998年6月6日 |
× | アーネスト・ホースト | 2R 0:34 KO(右ストレート) | K-1 GRAND PRIX '97 開幕戦 【1回戦】 |
1997年9月7日 |
○ | サダウ・ゲッソンリット | 3R終了 判定3-0 | K-1 BRAVES '97 | 1997年4月29日 |
[編集] 総合格闘技
総合格闘技 戦績 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
3 試合 | (T)KO | 一本 | 判定 | その他 | 引き分け | 無効試合 |
0 勝 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
3 敗 | 1 | 2 | 0 | 0 |
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | イベント名 | 開催年月日 |
× | 中村和裕 | 1R 0:55 TKO(グラウンドでのパンチ) | PRIDE.29 | 2005年2月20日 |
× | 美濃輪育久 | 1R 0:27 ヒールホールド | PRIDE 男祭り 2004 -SADAME- | 2004年12月31日 |
× | 小川直也 | 1R 1:34 肩固め | PRIDE GRANDPRIX 2004 開幕戦 【1回戦】 |
2004年4月25日 |
[編集] 獲得タイトル
- IKBFフルコンタクト世界王座
- IKBFキックボクシング世界王座
- ISKAムエタイ世界ヘビー級王座
- WMTA世界王座
- WKNフリースタイル世界スーパーヘビー級王座
- K-1 ヨーロッパグランプリ 優勝
- K-1 DREAM '99 優勝
- K-1 WORLD GP 2001 in LAS VEGAS 優勝
- K-1 WORLD GP 2006 in LAS VEGAS II 世界最終予選 優勝