1901年全米テニス選手権
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1901年 全米テニス選手権に関する記事。
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[編集] 大会の流れ
- 1881年から1967年まで、全米選手権は各部門が個別の名称を持ち、大会会場も別々のテニスクラブで開かれた。これが他の3つのテニス4大大会と大きく異なる点である。
- 男子シングルス 名称:全米シングルス選手権(U.S. National Singles Championship)/会場:ロードアイランド州、ニューポート・カジノ (最初の会場、1914年まで)
- 男子ダブルス 名称:全米ダブルス選手権(U.S. National Doubles Championship)/会場:ロードアイランド州、ニューポート・カジノ (最初の会場に戻る。1894年-1914年まで)
- 女子シングルス 名称:全米女子シングルス選手権(U.S. Women's National Singles Championship)/会場:ペンシルバニア州、フィラデルフィア・クリケット・クラブ (女子部門競技はすべてこの会場、1887年-1920年まで)
- 女子ダブルス 名称:全米女子ダブルス選手権(U.S. Women's National Doubles Championship)/会場:フィラデルフィア・クリケット・クラブ (1889年-1920年まで)
- 混合ダブルス 名称:全米混合ダブルス選手権(U.S. Mixed Doubles Championship)/会場:フィラデルフィア・クリケット・クラブ (1892年-1920年まで)
- 男女シングルスでは、「チャレンジ・ラウンド」(Challenge Round, 挑戦者決定戦)と「オールカマーズ・ファイナル」(All-Comers Final)で優勝を決定した。男子シングルスでは第4回大会の1884年から実施されてきたが、女子シングルスは第2回競技の1888年から行われた。
- 大会前年度優勝者を除く選手は「チャレンジ・ラウンド」に出場し、前年度優勝者への挑戦権を争う。前年度優勝者は、無条件で「オールカマーズ・ファイナル」に出場できる。チャレンジ・ラウンドの勝者と前年度優勝者による「オールカマーズ・ファイナル」で、当年度の選手権優勝者を決定した。
- この年は、男子シングルスの前年度優勝者マルコム・ホイットマンが欠場した。前年度優勝者が出場しなかった場合は「オールカマーズ・ファイナル」がなくなるため、チャレンジ・ラウンドの決勝結果を優勝記録表に掲載する。
- 本年度の女子シングルスでは、1回戦に先立って「予選ラウンド」(Preliminary Round)を実施し、出場選手11名のうち3名を絞り落とした。
- 女子部門競技(女子シングルス・女子ダブルス・混合ダブルス)の決勝戦は、この年まで最大5セット・マッチで行われた。女子シングルスでは、1891年からオールカマーズ・ファイナルが最大5セット・マッチで行われ、1894年からはチャレンジ・ラウンド決勝も最大5セット・マッチに拡大された。1901年のチャレンジ・ラウンド決勝 → オールカマーズ・ファイナルにおいて、2試合連続で5セット・マッチの試合が続いたことから、全米テニス協会(USTA)が翌年から女子部門競技の最大5セット・マッチを廃止することを決定した。
- 初期の全米選手権のように、外国人出場者が少なかった時期は、地元アメリカ人選手の国籍表示を省略する。
[編集] 大会前年度優勝者
- 男子シングルス:マルコム・ホイットマン [大会不参加]
- 女子シングルス:マートル・マカティアー
- 男子ダブルス:ホルコム・ウォード&ドワイト・デビス
- 女子ダブルス:エディット・パーカー&ハリー・チャンプリン
- 混合ダブルス:アルフレッド・コッドマン&マーガレット・ハンネウェル
[編集] 男子シングルス
[編集] チャレンジラウンド
準々決勝
- レオ・ウェア vs. エドガー・レナード 6-2, 6-2, 6-1
- ウィリアム・ラーンド vs. エドワード・ラーンド 不戦勝
- レイモンド・リトル vs. ウィリアム・クローシャー 6-3, 10-8, 1-6, 6-1
- ビールズ・ライト vs. クラレンス・ホバート 6-3, 8-6, 6-4
準決勝
- ウィリアム・ラーンド vs. レオ・ウェア 6-3, 6-2, 6-2
- ビールズ・ライト vs. レイモンド・リトル 7-5, 2-6, 6-1, 6-2
決勝
- ウィリアム・ラーンド vs. ビールズ・ライト 6-2, 6-8, 6-4, 6-4 (ここで優勝決定。ラーンドが本大会の優勝者になる)
[編集] 女子シングルス
[編集] チャレンジラウンド
準々決勝
- ジュリエット・アトキンソン vs. ヘレン・ヒューイ 6-2, 6-4
- エリザベス・ムーア vs. キャリー・ニーリー 6-1, 7-5
- マリオン・ジョーンズ vs. ヘレン・ディリンガム 不戦勝
- エンマ・ウォーレン vs. ジョージナ・ジョーンズ 7-5, 6-4
準決勝
- エリザベス・ムーア vs. ジュリエット・アトキンソン 6-2, 9-7
- マリオン・ジョーンズ vs. エンマ・ウォーレン 6-1, 6-2
決勝
- エリザベス・ムーア vs. マリオン・ジョーンズ 4-6, 1-6, 9-7, 9-7, 6-3 [ここから最大5セット・マッチ]
[編集] オールカマーズ決勝
- エリザベス・ムーア vs. マートル・マカティアー 6-4, 3-6, 7-5, 2-6, 6-2 (ムーアが本大会の優勝者になる。5年ぶり2度目)
[編集] 決勝戦の結果
- 男子シングルス:ウィリアム・ラーンド vs. ビールズ・ライト 6-2, 6-8, 6-4, 6-4 [チャレンジラウンド決勝]
- 女子シングルス:エリザベス・ムーア vs. マートル・マカティアー 6-4, 3-6, 7-5, 2-6, 6-2 [オールカマーズ決勝]
- 男子ダブルス:ホルコム・ウォード&ドワイト・デビス vs. ビールズ・ライト&レオ・ウェア 6-3, 9-7, 6-1
- 女子ダブルス:ジュリエット・アトキンソン&マートル・マカティアー vs. エリザベス・ムーア&マリオン・ジョーンズ 不戦勝
- 混合ダブルス:レイモンド・リトル&マリオン・ジョーンズ vs. クライド・スティーブンス&マートル・マカティアー 6-4, 6-4, 7-5 [最大5セット・マッチ]
[編集] 外部リンク
- 全米オープンの歴史 (英語、全米オープンテニス公式サイト内)
- WTAワールド・スレッド 女子シングルスの抽選表を確認できる。
- 国際テニス殿堂 エリザベス・ムーアの評伝に、女子競技から最大5セット・マッチを廃止した経緯が詳しく書かれている。
[編集] 参考文献
- ロジャー・M・ウィリアムズ著『全米オープン-ゲーム・セット・試合は続く』(英語、1997年刊、ISBN 0873552602、全米オープン公式出版物、タイム・ライフ・ブックス) 各部門ごとの開催地について、本書の189ページを参照した。
- バド・コリンズ著『テニスのすべて-究極のテニス百科事典』(英語、2003年刊、ISBN 0973144343、スポーツ・クラシック・ブックス) 男子シングルスの大会経過を確認できる唯一の資料。
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