1840年アメリカ合衆国大統領選挙
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1840年アメリカ合衆国大統領選挙(1840ねんアメリカがっしゅうこくだいとうりょうせんきょ、英:United States presidential election, 1840)は、現職の大統領マーティン・ヴァン・ビューレンと、これに対するにホイッグ党が初めて結束してウィリアム・ハリソンを担いだ選挙である。「ティッペカヌーとタイラーも」のスローガンの下に結束したホイッグ党が容易にヴァン・ビューレンを敗った。
この選挙は大統領経験者と将来の大統領合計4人に選挙人が投票したことで特徴がある。現職の大統領マーティン・ヴァン・ビューレン、大統領当選者ウィリアム・ハリソン、副大統領に当選しハリソンの死後に大統領を継いだジョン・タイラー、および後の大統領でこの時は選挙人票1票のみ獲得したジェームズ・ポークであった。
目次 |
[編集] 候補者の指名
[編集] 民主党の指名
現職のヴァン・ビューレンは1840年5月にメリーランド州ボルティモアで再指名された。しかし、現職副大統領リチャード・メンター・ジョンソンの再指名は拒否された。選挙人選挙の結果では、ジョンソン、リトルトン・W・テイズウェルおよびジェームズ・ポークに民主党の副大統領票が割れた。
[編集] ホイッグ党の指名
ホイッグ党の歴史で初めて大統領候補を決めるための全国党員集会が開かれた。大統領選挙のほぼ1年前にあたる1839年12月4日にペンシルバニア州ハリスバーグで開催された。指名候補者は3人おり、米英戦争の英雄で前回1836年アメリカ合衆国大統領選挙で落選したもののヴァン・ビューレンに次いで最も多く票を獲得したウィリアム・ハリソン、もう一人の将軍で1837年と1838年に起こったイギリスとの小競り合いでも現役であったウィンフィールド・スコット、および議会におけるホイッグ党の指導者で元下院議長であったヘンリー・クレイだった。
第1回目の投票ではクレイが1番だったが、状況は彼を候補者にすることを否定する方向に動いていた。第1にこの集会はホイッグ党が一連の選挙で敗北した後に開催されていた。ハリソンはその敗北と距離を置いていたが、クレイは党の理論的指導者でありそれが出来なかった。集会が翌年の春に開かれておれば、経済的低迷のためにホイッグ党が選挙で一連の勝利を収めており、クレイがより大きな支持を得た可能性があった。第2に、集会の規則ではある州の代議員の過半数を得た候補者がその州の票を全て獲得することになっていたことである。これはクレイに逆風であった。というのも、クレイは南部州の代議員のほとんどを掴んでいたがこれは南部では対抗馬から多くの票を取り上げられないことを意味し、北部州の代議員からは過半数には届かないがそこそこの支持を得ていたのでこれは対抗馬が北部でクレイ側の多くの代議員を横取りできることを意味していたからである。最後に、クレイを支持するいくつかの南部州が集会へ代議員を送ることを棄権したことであった。この結果指名はハリソンに行った。
州ごとの点呼投票の結果は「ファーマーズ・キャビネット」1839年12月13日号に掲載された。
投票回数 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 |
---|---|---|---|---|---|
ウィリアム・ハリソン オハイオ州 | 94 | 94 | 91 | 91 | 148 |
ヘンリー・クレイ ケンタッキー州 | 103 | 103 | 95 | 95 | 90 |
ウィンフィールド・スコット ニュージャージー州 | 57 | 57 | 68 | 68 | 16 |
ハリソンが北部の出身と見なされたので、ホイッグ党は副大統領候補として南部の者を指名してバランスを取る必要があった。党の結束を固めるためにクレイ支持者の協力を求めた。南部クレイ支持者の何人かが辞退した後で、集会の間誠実にクレイを支持した南部の候補者に行き着いた。それがバージニア州出身の元アメリカ合衆国上院議員ジョン・タイラーだった。
[編集] 一般選挙
[編集] 選挙運動
1837年の恐慌の後でヴァン・ビューレンは広く不人気であり、ハリソンはアンドリュー・ジャクソンの戦略に従って戦争の英雄と国民の味方を強調する一方、ヴァン・ビューレンは公費で贅沢に暮らす富裕な俗物と攻撃した。ハリソンはそれなりに裕福であり教育もあったが、その「丸太小屋」イメージが火をつけ国中を席捲した。
ホイッグ党は共通の理想を描く者達と広範な連合をしていたが、ハリソンは選挙運動でその問題を避けた。
[編集] 結果
ハリソンが一般選挙でえた得票率はわずか6%の差であったが、選挙人選挙では圧倒的な勝利になり、北部、西部および南部共に制した。
大統領選の結果 | ||||||
大統領候補者 出身州 |
党 | 得票数 (a) |
得票率 | 選挙人得票数 | 副大統領候補者 出身州 |
選挙人得票数 |
ウィリアム・ハリソン オハイオ州 |
ホイッグ党 | 1,275,390 | 52.9% | 234 | ジョン・タイラー バージニア州 |
234 |
マーティン・ヴァン・ビューレン ニューヨーク州 |
民主党 | 1,128,854 | 46.8% | 60 | リチャード・メンター・ジョンソン ケンタッキー州 |
48 |
同 | 同 | - | - | - | リトルトン・W・テイズウェル バージニア州 |
11 |
同 | 同 | - | - | - | ジェームズ・ポーク テネシー州 |
1 |
ジェイムズ・G・バーニー ニューヨーク州 |
自由党 | 6,797 | 0.3% | 0 | トマス・アール ペンシルバニア州 |
0 |
その他 | - | 767 | 0.0% | 0 | - | 0 |
合計 | 2,411,808 | 100% | 294 | - | 294 | |
選出必要数 | 148 | - | 148 |
(a) 一般選挙の数字にはサウスカロライナ州のものが含まれていない。サウスカロライナ州では一般選挙に拠らず州議会が選挙人を指名した。
[編集] 選挙の後
ハリソンは大統領になった時にロナルド・レーガンに次ぐ高齢であったが、就任式後1ヶ月強で死んだ。副大統領にタイラーを選んでいたことはホイッグ党にとって不幸であることが分かった。タイラーは集会の時にクレイを断固として支持したが、元は民主党員で州の権限の熱烈な支持者であり、大統領職に付いてからはホイッグ党の政治プログラムを妨害した。
[編集] 選挙運動歌、スローガン
[編集] ハリソン
「ティッペカヌーとタイラーも」
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- 短縮版:First verse and chorus.
- うまく聞けない場合は、サウンド再生のヒントをご覧ください。
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- 全曲:All twelve verses.
- うまく聞けない場合は、サウンド再生のヒントをご覧ください。
[編集] ヴァン・ビューレン
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- 眠れ赤ん坊、父さんはホイッグ Rockabye, baby, Daddy's a Whig
- 家に帰れば、きつい林檎酒をがぶがぶ When he comes home, hard cider he'll swig
- がぶがぶ飲み終わったら When he has swug
- ばかのように倒れる He'll fall in a stu
- そしたらタイラーとティッペカヌーがやってくる And down will come Tyler and Tippecanoe.
- 眠れ赤ん坊、父さんはホイッグ Rockabye, baby, Daddy's a Whig
-
- 眠れ赤ん坊、目覚めたら Rockabye, baby, when you awake
- ティップが偽者とわかるさ You will discover Tip is a fake.
- 戦場や戦いの雄たけびや太鼓からは遠く Far from the battle, war cry and drum
- その小屋の中でラム酒で悪酔いしてるだけ He sits in his cabin a'drinking bad rum.
- 眠れ赤ん坊、目覚めたら Rockabye, baby, when you awake
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- 眠れ赤ん坊、泣くじゃない Rockabye, baby, never you cry
- ティップやそのタイを恐れる必要はない You need not fear OF Tip and his Ty.
- やつらが破滅させるものをヴァン・ビューレンがまとめるさ What they would ruin, Van Buren will fix.
- ヴァンは魔法使い。かれらは悪ふざけだけだよ。 Van's a magician, they are but tricks.
- 眠れ赤ん坊、泣くじゃない Rockabye, baby, never you cry
[編集] 選挙人の選出
選挙人の選出 | |
選挙人の選定方法 | 州 |
州議会で選挙人を指名 | サウスカロライナ州 |
全州の選挙で選挙人を選出 | その他の州すべて |
[編集] 脚注
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
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- (1971) in Schlesinger, Arthur M., Jr., (ed.): History of American Presidential Elections, 1789-1968, 4 volumes.
- Gunderson, Robert Gray (1957). The Log-Cabin Campaign. Lexington: University of Kentucky Press.
- Greeley, Horace (1868). Recollections of a Busy Life.
- Greeley's description of the 1840 election is posted on Wikisource.
- Holt, Michael F. (1999). The Rise and Fall of the American Whig Party: Jacksonian Politics and the Onset of the Civil War. Oxford University Press. ISBN 0-19-505544-6.
[編集] 外部リンク
- Overview of Whig National Convention of 1839
- How close was the 1840 election? - Michael Sheppard, Michigan State University
- 一般選挙に関する出典:[1]. [2]. (2005年7月27日).
- 選挙人選挙に関する出典:[3](2005年7月31日)
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