黄金餅
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『黄金餅』(こがねもち)は、古典落語の演目である。
自分の死後に財産が他人に渡るのを嫌がる僧侶と、その財産を奪おうと企む男を通して人間の深い欲望を描いた、数ある落語の演目中でも屈指のダークなネタである。5代目古今亭志ん生、7代目立川談志の十八番。
注意:以降の記述で物語・作品に関する核心部分が明かされています。
目次 |
[編集] 物語
下谷の寺を持たない念仏僧・西念(さいねん)は、長屋で貧しい生活を送っていた。
ある時、西念は重い風邪をひいて体調を崩し、寝込んでしまう。隣りの部屋に住んでいる金兵衛(きんべえ)が西念を看病してやる。
何か食べたい物はあるかと金兵衛が尋ねると、西念はあんころ餅を沢山食べたいという。金兵衛が大量のあんころ餅を購入して届けると、西念は「人のいる前でものを食うのは好きでない」と理由を付けて金兵衛を帰宅させる。奇怪に思った金兵衛は、ボロ長屋の壁の穴から隣の西念の部屋を覗き見る。
一人になった西念が取り出したのは、密かに蓄えてあった山ほどの二分金、一分銀。その小さな粒を、餅で一つずつくるんでは、口に入れて丸呑みし始めたのだ……
金銀入りの餅をすべて呑み込み終えた西念は、苦しそうに呻き声をあげる。驚いた金兵衛は西念の部屋に飛び込み、餅を吐き出すように勧めるが、西念は決して口を開かず、そのまま息絶える。
西念は大金を腹中にかかえたまま地獄へ行こうとしている。金兵衛は突然の出来事に戸惑いつつも、西念の金を我が物にしようと決心し、思案を巡らせた――
西念の葬儀が寺で行われる。金兵衛は、葬儀の出席者である長屋の住人や家主と別れ、西念の遺体を入れた棺桶がわりの樽を荷車で火葬場へ運ぶ。
火葬場に着いた金兵衛は「今は夜だから翌朝に火葬する」と言う隠亡(火葬場の作業員)を脅迫して即座に火葬させる(隠亡が知人でコネを効かせるという設定の場合もあり)。しかも「腹は生焼けにしろ」と強く念を押す。
翌朝、金兵衛は焼けた西念の遺体を受け取りに行く。隠亡を無理矢理追い払い、用意した包丁で遺体の生焼けの腹部を切開して中を探ると、予想通り胃の中には損傷を免れた大量の金銀が入っていた。
カネが手に入れば遺体に用はない。戸惑う隠亡と生焼けの遺体を残し、金兵衛は火葬場から嬉々として立ち去る。
金兵衛はこの金を資金にして目黒に餅店を開き、商売は大成功し、店の餅は黄金餅と呼ばれて江戸の名物となった。
[編集] 欲望の深さ
寺も持たず長屋で貧しく暮らしているはずの西念は、実は大量の金を蓄えていた。何かを目的として貯蓄していたのではなく、貯蓄そのものを目的化し、生きがいにしていたのだ。使うのが余りに惜しくて、必要な時――病に臥せってしまったその時に至っても――に金を使わず、最早貯蓄の意義すら分からない。
更には、せっかく貯めた大金が自分の死後に他人の物になってしまうのを断固として嫌がり、自分の腹の中に無理矢理収める。三途の川の渡し賃が必要だから、と死者の棺桶に少量の金を納める風習があるが、それとは関係無い。西念は、ただただ強欲なのだ。
僧形をした吝嗇家の馬鹿馬鹿しくも異様な最期を描きながら、その中に人間の底の無い欲望の深さをリアルに表現する、滑稽さと哀れさが同居する物語である。
[編集] 悪事
金兵衛は死者が残した大金を遺体を冒涜してまで奪い取り、それを資金にして大成功を収めてしまう。童話や民話や説話では、通常この様な結末は有り得ず、「他人の物を奪ったが為に罰を受ける」、「悪事を働けば罰を受ける」という勧善懲悪の教訓を伝える結末が多いが、『黄金餅』では主人公がタブーもモラルも破って、なお成功譚として終わっているのだから特異である。
金兵衛は決して芯からの悪人ではない。隣人を看病してやるだけの気づかいも備えた、市井の一凡人である。その異常ではない人間が、カネが手に入ると気付くや、罪悪感を微塵も感じずに無邪気に死者から金を奪う過程を描くことで、人間が持つ拭えない嫌らしさ、矮小さが生き生きと暴き出されている。
このあたりの演出効果は演じる噺家のキャラクターにかなり依存するところがあり、志ん生、談志らの持ち味が生かされた面でもある。言い換えれば語れる度量のある噺家でなければ扱い難いネタ、噺家自身の性格や語り口によっては扱いにくいネタということでもあり、語り手を選ぶ噺と言えるだろう。
以上で物語・作品に関する核心部分の記述は終わりです。
[編集] 縁起物としての黄金餅
酉の市などで縁起物として販売されることが多いが、当然ながら落語の「黄金餅」とは直接の関係はない。