魚島村
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魚島村(うおしまむら)は、愛媛県の東予地方にあった村である。有人島として、魚島と高井神島とがある。
1947年には人口1,700人を越えていたが、過疎化が進み、閉村直前には約290人にまで人口減少が進み、西日本一の小規模自治体となった。「学校は地域の灯台」の理念を掲げ、村民大募集により廃校の危機を乗り越え、下水道普及率100%達成、愛媛県内自治体初のケーブルテレビ(CATV)導入など、離島で集落が小規模に凝縮された村だからこそ可能ともいえるユニークな施策を推進し、全国の小規模離島のモデルとして注目された村であった。
詳細は各島の記事を参照のこと。
目次 |
[編集] 地理
芸予諸島の魚島、高井神島(有人は2島のみ)他からなる離島の村。
[編集] 歴史
- 明治12年、村制実施
- 明治23年、弓削村に編入
- 明治28年、弓削村から分離し、魚島村となる
- 平成7年、村制100周年
- 上島諸島で合併、自治体としての魚島村の歴史を閉じる。
[編集] 行政
- 村長 佐伯真登(さいき まさと)
- 庁舎
- 昭和の合併の経緯
- 離島であり、昭和の合併は経験していない。
- 平成の合併の経緯
- 魚島村は愛媛県越智郡に属するが同郡内の他の町村のいずれとも距離のある離島であり、市町村合併の効率化効果はきわめて限られており、むしろ「役場がなくなる」ことにより、過疎化に拍車がかかる恐れがあった。このことを佐伯元村長も絶えず主張してきた。しかしながら、零細規模の村として単独で生き残ることにも不安があり、同村としては苦渋の決断の結果、弓削町をはじめとした上島諸島の町村と合併することになった。(形態としては新設合併)
- なお、昭和の合併は合併困難町村として、経験しておらず、明治期に一時弓削村と合併したが、支障が多く、後に分離した経緯がある。
[編集] 教育
村内に高等学校はない。
[編集] 交通
[編集] 航路
村営航路により弓削島と結ばれている。
[編集] 鉄道
町内に鉄道はない。
[編集] 道路
町内に国道、主要県道はない。
[編集] 関連項目
- 愛媛県の廃止市町村一覧
- 魚島
- 高井神島