高山盆地
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現在の高山市は、2005年(平成17年)2月1日に、旧高山市を中心として周辺9町村を編入合併して誕生したものである。高山盆地は、旧高山市が該当する。
飛騨国の中心地である。旧高山市は江戸時代以来の城下町・商家町の姿が保全されており、その景観から「飛騨の小京都」と呼ばれている。観光ガイドでは飛騨高山と記される。
[編集] 特徴
- 山間盆地であり、城山、東山、北山、中山などの四方を山に囲まれた地域である。流れ込む河川は、宮川と、その支流である川上川、大八賀川、小八賀川などがある。また、東に乗鞍岳、焼岳、穂高岳、槍ヶ岳、黒部五郎岳、笠ヶ岳、南東に御嶽山、北西に白山が遠望できる。
- 地学的にいうと、第四紀層が広く分布し比較的ゆるやかな地形である。河川堆積物が少ないことから、沈降でできた盆地ではなく、飛騨山脈に引きずられるように上昇しその上昇量が周辺と比べて少なかったため、盆地状の地形となったと推測されている。
- 内陸性盆地型気候で、昼夜、夏冬の気候温度差が大きく、湿度が低い。
[編集] 歴史
- 縄文時代の遺跡が数多くあり、古くから人が住んでいたと推測される。
- 白鳳時代までの飛騨の中心は国府盆地(旧国府町、現高山市国府町)、古川盆地(旧古川町、現飛騨市)一帯あったが、奈良時代、国分寺と国分尼寺が設置されたことにより、飛騨の中心地となる。
- 鎌倉時代になると、飛騨の中心地は再び、国府盆地、古川盆地に移る。戦国時代の1582年(天正10年)、三木自綱が高山に松倉城を築城したことにより、飛騨の中心は再び高山盆地一帯となる。しかし、1585年(天正13年)豊臣秀吉の命で金森長近は松倉城を攻め落とし、1600年(慶長5年)には高山城を築城する。
- 江戸時代、飛騨高山藩の中心地となり、現在も残る城下町・商家町が形成された。1692年(元禄5年)、金森頼時が転封となり、その後は飛騨国は天領となる。その中心として新たに高山陣屋が飛騨の政治の中心となる。現在も高山盆地は飛騨の中心地である。