飯田城
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飯田城 (長野県) |
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通称 | 長姫城 |
城郭構造 | 平山城 |
築城主 | 坂西氏 |
主な改修者 | 秋山信友、毛利秀頼、京極高知 |
主な城主 | 秋山信友、毛利秀頼、京極高知、小笠原氏、脇坂氏 |
指定文化財 | なし |
再建造物 | なし |
飯田城(いいだじょう)は、長野県飯田市にあった城郭。江戸時代には飯田藩の藩庁が置かれた。
目次 |
[編集] 概要
13世紀初めに小笠原氏の一族の坂西氏により築かれたといわれる。戦国時代には武田家の支配するところとなり、伊奈郡代となった配下の秋山信友により強固な城へ改修された。
武田氏滅亡後は毛利秀頼、京極高知が入り、この頃に近世城郭としての姿が整えられた。江戸時代になると小笠原氏1代、脇坂氏2代と続き、寛文12(1642年)堀親昌が2万石で下野烏山より入封し、以後明治維新まで飯田城に居を構えた。
[編集] 構造
城は天竜川の支流の松川と野底川にはさまれた河岸段丘の先端部分を利用して築かれた平山城である。
縄張りは、城郭の東部に本丸を置き、断崖に面して西部に向かって二の丸、桜丸、出丸と曲輪を配していた。建造物としては、東西南北100mの規模で土塀に囲まれた本丸御殿を中心に、7棟の建物が建てられていた。
[編集] 遺構
現在、城の遺構はほとんど残っていないが、本丸は神社境内となり、石塁、空堀と土塁の一部が残っている。二の丸は美術館に、藩主の居館のあった桜丸は合同庁舎として利用され、わずかに桜丸水の手門の石垣が残っている。
建物としては、赤門とも呼ばれる桜丸御門が城内に、桜丸の門が市内上郷別府経蔵寺に、それぞれ移築され現存する。また、市内松尾久井の民家に、文禄年間の建築ともいわれる八間門が移築現存する。