青鞜
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青鞜(せいとう)は、
- かつて存在した日本の雑誌。以下で詳述。
- 日本のプロ野球チーム、セネタース(現・北海道日本ハムファイターズ)の略称(こちらを参照)。
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青鞜(せいとう)は、青鞜社の機関誌。1911年(明治44年)9月から1916年(大正5年)2月にかけて発行された女性だけによる文学誌。当時の家父長制度から女性を解放するという思想のもとに、平塚らいてうが、生田長江のすすめと母からの資金援助を受けて創刊。誌名は生田長江の命名。当時のヨーロッパで知的な女性達がはいていた靴下が青かったことからブルーストッキングと呼ばれたことに由来する。
平塚らいてう(当時26歳)を中心に、保持研子(やすもち よしこ、当時25歳)、中野初子(当時25歳)、木内錠子(きうち ていこ、当時25歳)、物集和子(当時24歳)らが参加した。同誌第1巻第1号に平塚が著した「元始、女性は太陽であつた-青鞜発刊に際して」という創刊の辞は、日本における婦人解放の宣言として注目され、多大な影響を及ぼした。当初、東京市本郷区駒込千駄木林町(現在の東京都文京区千駄木)の物集和子の自室に編集局を置いた。
1913年4月、文部省の提唱する良妻賢母の理念にそぐわないとの理由により、発禁処分を受けた。1915年1月号より、発行人が平塚から伊藤野枝に交替。1916年2月に無期休刊となる。
[編集] 引用・参考文献
『無限生成-らいてう・博史-』 - 中嶌邦他、1997年、日本女子大学成瀬記念館。