青線
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青線 (あおせん)
- 日本で売春防止法施行以前に非合法で売春が行われていた地域の俗称。(この項目で記述)
- 法定外公共物である水路の通称。「青道(あおどう)」、「青地(あおち)」ともいう。(法定外公共物である里道の通称は「赤線」、「赤道」、「赤地」)
青線 (あおせん) は、1946年1月のGHQによる公娼廃止指令から、1957年4月の売春防止法の一部施行(1958年4月に罰則適用の取締りによる全面実施)までの間に、非合法で売春が行われていた地域である。青線地帯、青線区域。
所轄の警察署では、特殊飲食店として売春行為を許容、黙認する区域を地図に赤い線で囲み、これら特殊飲食店街(特飲街)を俗に「赤線(あかせん)」あるいは「赤線地帯」、「赤線区域」と呼んだ。これに対して特殊飲食店の営業許可なしに、一般の飲食店の営業許可のままで、非合法に売春行為をさせていた区域を地図に青い線で囲み、俗に「青線」あるいは「青線地帯」、「青線区域」と呼んだ。
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[編集] 店の形態
建前上、通常の飲食店として酒や料理などを客に供するため、店は食堂や小料理屋などの形態をとり、女給や酌婦を置いて、その女性に別室で非合法に売春をさせた。他にも、一般旅館を装い、街娼(ストリート・ガール)を使って売春させる業者もあった。これらの飲食店や旅館などが集まる青線地帯の多くは、赤線地帯(特殊飲食店街)に隣接していた。
赤線地帯で特殊飲食店として認められるためには、当時の風俗営業法により警察の許可を得る必要があるが、青線地帯の店は食品衛生法に基づく保健所の飲食店営業許可のみを取得した飲食店の形態であった。
売春防止法の施行後の青線地帯は、経営者は変わるものの店舗はそのまま飲食店として営業する場合もあったが、売春(本番)行為を伴わない性風俗店となったものや、今でも「ちょんの間(ちょんのま)」と呼ばれる青線の名残をのこす非合法の店もある。
かつて青線地帯であったことで有名な場所には、東京都新宿区歌舞伎町の新宿ゴールデン街や神奈川県横浜市中区の黄金町がある。
[編集] 公娼と私娼
1946年1月21日にGHQから「日本における公娼制度廃止に関する連合国最高司令官覚書」が発せられたのを受け、1947年1月15日にポツダム命令の「婦女に売淫をさせた者等の処罰に関する勅令」(勅令第9号)が施行され、事実上公娼制度が廃止された。しかし管理売春ではない本人の自由意志による売春であることを前提に、娼婦(売春婦)が転向するまでの暫定措置という形で、特殊飲食店として地域(赤線地帯)を限って売春が許容、黙認された。そのため「公娼街=赤線」「私娼街=青線」と認識されがちであるが、あくまで許容、黙認であって公認ではないため全てが私娼であった。
[編集] その他
1958年4月に売春防止法が罰則適用の取締りによる全面実施となっても、一部の赤線や青線の業者などが形を変えて非合法の営業を続けた。一部週刊誌などで、素人(しろうと)売春とかけた白線(ばいせん・ぱいせん)、暴力団が仕切っていた「黒線(くろせん)」、電話の呼び出しで売春するものを「黄線(おうせん)」あるいは「イエローライン」といった呼び方もされたが、それほど定着はしなかった。