隠れ里
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隠れ里(かくれざと)とは民話、伝説にみられる一種の仙郷で、山奥や洞窟を抜けた先などにあると考えられた。「隠れ世」などの呼称もある。
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[編集] 概要
猟師が深い山中に迷い込み、偶然たどり着いたとか、山中で機織りや米をつく音が聞こえた、川上から箸やお椀が流れ着いたなどという話が見られる。そこの住民は争いとは無縁の平和な暮らしを営んでおり、暄暖な気候の土地柄であり、外部からの訪問者は親切な歓待を受けて心地よい日々を過ごすが、もう一度訪ねようと思っても、二度と訪ねることは出来ないとされる。こういった伝承の背景には平家の落人が隠れ住んだとされる集落の存在が挙げられ、実際に平家谷、平家の隠れ里と伝えられる集落が存在している。また、仏教の浄土思想渡来以前の、素朴な山岳信仰、理想郷の観念が影響していると思われる。
[編集] 富と時間
隠れ里を訪ねた者の話には、贅沢なもてなしを受けたとか、高価な土産をもらったとかいうものがある。隠れ里は概ね経済的に豊かであることが多い。また、隠れ里に滞在している間、外界ではそれ以上の年月が経っていたという話もあり、時間の経ち方が違っていることもある。これらの逸話は隠れ里の異境性をよく表わしており、『浦島太郎』『鼠浄土』といった説話との共通点も見られる。古代における「常世の国」の観念が典型的なもので、ここでは常人がおよそあずかり知れぬ所の他界といった形象で伝えられる。
[編集] 常世からの変遷
常世の国が海の彼方という不可能性を帯びた所に在るのに対して、隠れ里は地下の国や深山幽谷といった一応到達可能な点に置いていることが異なっているといえる。各地の隠れ里伝承を比較研究した民俗学者の柳田国男は、概して西日本の隠れ里は夢幻的で、東北地方に行くにしたがって具体性を帯びていくという興味深い指摘をしている。竹内利美などによると、隠れ里は常世からの観念を引き継いではいるものの、神話的枠組みを失い知足安分の域に留まってしまった近世の庶民的発想の結果ではないかとする(宮田登『ユートピアとウマレキヨマリ』吉川弘文館、2006年)。
[編集] 「実在の」隠れ里
発見されたといわれる隠れ里が京丸の里として知られ、遠江(現静岡県西部)の犬居川(宮川)上流に在った。享保年間の洪水の際、膳椀などが増水した川上から流れてきたためようやく知られるようになったという。