陸奥下村藩
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陸奥下村藩(むつしもむらはん)は、陸奥国(後の岩代国)信夫郡下村(現在の福島県福島市佐倉下)に陣屋を構え、周辺を支配した藩。
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[編集] 藩史
下村藩は天明7年(1787年)10月、「賄賂政治」を行なったとして有名な老中・田沼意次が失脚して隠居謹慎処分となった後、田沼氏の家督は意次の孫・田沼意明(田沼意知の子)が継いだ。意次は遠州相良藩5万7000石を領していたが、失脚による処罰により1万石に減移封された上で、下村藩を立藩することとなった。田沼氏はその後、意明からその弟・田沼意壱、そしてその弟・田沼意信とその子・田沼意定と継がれ、第5代藩主には意次の次男・田沼意正が就任する。意正は当初、忠徳と言い、老中・水野忠友の養子となっていたが、父の失脚に伴ってその養子縁組を解消されていた。しかし文政元年(1818年)に水野忠成が老中となると、意正も若年寄に抜擢され、幕政に参与した。
文政6年(1823年)、忠成や将軍・徳川家斉の計らいもあって、意正は父の旧領・相良へ再び移されることとなり、ここに下村藩は廃藩となった。ちなみに、田沼氏が再び相良へ戻ることは、多くの幕閣が反対したが、家斉はかつて意次が将軍就任にあたって協力してくれたこと、意正自身に見所があったこと、さらに意次の名誉回復の意味もあって、反対を押し切ったと言われている。
[編集] 歴代藩主
[編集] 田沼(たぬま)家
譜代。1万石。