阿部正興
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時代 | 江戸時代中期 | |||
生誕 | 享保18年(1733年) | |||
死没 | 宝暦14年3月11日(1764年4月11日) | |||
別名 | 増五郎(幼名)、正之(別名) | |||
墓所 | 東京都台東区西浅草の東光院 | |||
戒名 | 浄恵院殿覚峯理玄大居士 | |||
官位 | 従五位下、山城守、因幡守 | |||
藩 | 上総佐貫藩主 | |||
氏族 | 阿部氏 | |||
父母 | 父:阿部正福、母:福地氏 養父:阿部正鎮 |
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兄弟 | 阿部正右、阿部正興 | |||
妻 | 正室:阿部正鎮の長女・於雄(徳相院) 継室:大久保忠胤の娘・於状(浄影院) |
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子 | 養子:阿部正賀、娘(阿部正保室) |
阿部 正興(あべ まさおき)は、上総佐貫藩の第2代藩主。福山藩阿部家分家3代。
享保18年(1733年)、備後福山藩主・阿部正福の四男として生まれる(生年は享保19年(1734年)3月26日とも)。
延享3年(1746年)1月に佐貫藩の初代藩主・阿部正鎮の養子となる。寛延2年(1749年)12月に従五位下・山城守に叙位・任官する。宝暦元年(1751年)の正鎮の死去により、家督を継いで第2代藩主となる。宝暦7年(1757年)に因幡守に遷任する。
宝暦14年(1764年)3月11日に死去。享年32。後を養子の阿部正賀が継いだ。
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