鈴木修 (実業家)
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鈴木修(すずきおさむ 1930年1月30日-)は、日本の実業家。自動車メーカーのスズキ代表取締役会長兼CEO
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[編集] 来歴・人物
1953年3月中央大学法学部法律学科卒業。中央相互銀行(現在の愛知銀行)入社。1958年にスズキの2代目社長の鈴木俊三の娘婿となる。同年4月にスズキ入社。
1963年11月に同社取締役就任。1967年12月に同社常務取締役。1973年11月に同社専務取締役。1978年6月に同社代表取締役社長に就任。2000年6月から代表取締役会長兼CEOを務める。
1975年の自動車排出ガス規制に対応が遅れたスズキを立て直し、社長就任直後に軽自動車アルト(1979年発売)を主導。その後もワゴンR(1993年発売)の発売など『軽自動車』の商品力を高めた。
経営方針として海外進出を積極的に行い、インド等のアジア成長国での販売を伸ばした。1981年には巨大自動車メーカーであるゼネラルモーターズとの業務提携を進めるなどした結果、社長就任時には1700億円であった売上高を、2007年3月期では3兆1636億円になるまでスズキを成長させ、世界的メーカーとして認知される基礎を築いた。
徹底した現場主義、現実主義者であると言われるが、一方で創業時の中小企業の精神について尊重し、スズキの販売網である自動車修理工場などが販売店を兼営する「業販店」の経営者の人望も厚いと評される。
1971年12月から日本自動車工業会理事、1981年3月から中部瓦斯取締役、1999年6月から静岡エフエム放送会長(2005年6月から相談役)に就任。
浜松市の市政にも強い影響力を持ち、前市長の北脇保之(1999年~2007年)、現市長の鈴木康友はいずれも衆議院議員選挙立候補時から強力に支援する。
2000年4月に勲二等旭日重光章、1987年11月に藍綬褒章を受勲している。ハンガリー名誉領事。同じく婿養子経営者であった河合楽器製作所社長であった河合滋(故人)と親しかった。
[編集] 語録
- 『ゼネラル・モーターズが鯨で、うちがメダカ?いやうちはメダカじゃなくて蚊ですよ。だってメダカは鯨にのみ込まれてしまうが、蚊であれば空高く舞い上がることができるのでのみ込まれない』1981年にGMとの提携を発表した際。[1]
- 『かつては十年ひと昔といったが、今は一年ひと昔。十年先のことを考えるなんて昔で言えば百年先を考えるようなもの。会社のあるべき姿を描くと現実から大きくかい離する。最小限、何を今なすべきかを考えていくことだ』[2]
- 『現場の班長と一緒に一万円のコストを浮かした苦労話を聞く。そうしたら無駄遣いなんてとてもできない』[3]