金森重頼
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
金森 重頼(かなもり しげより、慶長元年(1596年) - 慶安3年閏10月7日(1650年11月30日))は飛騨高山藩三代藩主。戦国武将金森長近の孫で金森可重の三男。兄に金森重近。弟に金森重勝、酒井重澄。正室は内藤清次の娘。子に四代藩主金森頼直、娘(織田長頼室)、娘(織田長定室)、娘(亀井茲政室)、娘(木下利貞室)、娘(小出有棟室)。通称左兵衛。長門守・出雲守。
大坂の役の後、可重の跡を継いだ重頼は祖父と父の築き上げてきた高山の藩政に力を注ぎ、新田開発や銀山の開発など、名君として誉れ高い。寛永の大飢饉の際には、伝来の茶器であった「雲山肩衝」を売り藩士・農民の救済にあてた逸話も伝わっている。松平忠輝や加藤光広など取り潰しになった大名の身柄を預かるなど、幕府内での信頼も高かったようだ。
金森家代々と同じく茶の湯に秀で、和歌・連歌もたしなんだという風流人でもあった。慶安3年(1650年)閏10月7日、55歳で死去し、後を金森頼直が継いだ。法号:真龍院殿瑞雲宗祥。墓所:岐阜県高山市の素玄寺。
|
|
|