金子久
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金子 久 | ||
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名前 | ||
愛称 | ゴルジ | |
カタカナ | カネコ ヒサシ | |
ラテン文字 | KANEKO Hisashi | |
基本情報 | ||
国籍 | 日本 | |
生年月日 | 1959年9月12日 | |
出身地 | 埼玉県与野市(現、さいたま市) | |
身長 | 179cm | |
体重 | 84kg | |
選手情報 | ||
ポジション | DF
|
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代表歴 | ||
出場 | 7 | |
得点 | 1 | |
金子 久(かねこ ひさし、1959年9月12日 - )は埼玉県与野市(現、さいたま市)出身の元サッカー選手、サッカー指導者。
目次 |
[編集] 略歴
現役時代は屈強な体を活かしたセンターバックとして活躍した。帝京高等学校時代の1977年の高校サッカー選手権で優勝、決勝の四日市中央工業戦での豪快なヘディングシュートは語り草となっている。卒業後、古河電気工業サッカー部に入部。この時期にU-20日本代表に選出されると1979年のワールドユース日本大会に出場した。
しかし所属する古河電工では出場機会が少なく、ベテランの桑原隆の控えであった。1984年に清雲栄純 が監督に就任すると転機が訪れ、翌1985年シーズンにレギュラーの座を掴むと2度目の日本サッカーリーグ制覇に貢献した。 この活躍により日本代表にも選出され、1986年のアジア競技大会や翌1987年のソウルオリンピック予選など国際Aマッチ7試合に出場1得点を記録した。
[編集] 所属クラブ
- 帝京高等学校
- 1978年 - 1992年 古河電気工業サッカー部
[編集] 個人成績
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | JSL杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1978 | 古河 | JSL1部 | 0 | 0 | |||||||
1979 | 古河 | JSL1部 | 1 | 0 | |||||||
1980 | 古河 | JSL1部 | 2 | 0 | |||||||
1981 | 古河 | JSL1部 | 13 | 0 | |||||||
1982 | 古河 | JSL1部 | 12 | 1 | |||||||
1983 | 古河 | JSL1部 | 10 | 1 | |||||||
1984 | 古河 | JSL1部 | 10 | 1 | |||||||
1985 | 古河 | JSL1部 | 22 | 2 | |||||||
1986-87 | 古河 | JSL1部 | 22 | 5 | |||||||
1987-88 | 古河 | JSL1部 | 20 | 4 | |||||||
1988-89 | 古河 | JSL1部 | 22 | 3 | |||||||
1989-90 | 古河 | JSL1部 | 21 | 5 | |||||||
1990-91 | 古河 | JSL1部 | 5 | 1 | |||||||
1991-92 | 古河 | JSL1部 | 3 | 0 | |||||||
通算 | 日本 | JSL1部 | 163 | 23 | |||||||
総通算 | 163 | 23 |
[編集] 代表歴
[編集] 出場大会など
[編集] 試合数
- 国際Aマッチ 7試合 1得点(1986-1987)
日本代表 | 国際Aマッチ | その他 | 期間通算 | |||
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年 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
1986 | 3 | 0 | 2 | 2 | 5 | 2 |
1987 | 4 | 1 | 9 | 0 | 13 | 1 |
通算 | 7 | 1 | 11 | 2 | 18 | 3 |
[編集] 指導歴
- ジェフユナイテッド市原:育成普及部
- ジェフユナイテッド市原/ジェフユナイテッド市原・千葉:宇都宮スクールコーチ