酒井忠恕
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酒井 忠恕(さかい ただひろ、天保10年(1839年)12月20日 - 安政5年(1858年)11月13日)は、出羽庄内藩9代藩主・酒井忠発の長男。正室は山内豊煕の娘。摂津守、宮内大輔。
庄内藩嫡子だったが、家督相続前に夭逝。安政4年(1857年)に国元に帰国し、翌年急逝した。代わって、叔父・酒井忠寛が嫡子となった。
酒井 忠恕(さかい ただかず、生年不詳 - 天明2年4月14日(1782年5月25日))は、越前敦賀藩4代藩主・酒井忠香の長男。母は水野忠定の娘。
敦賀藩嫡子だったが、家督相続前に夭逝。代わって、次弟・酒井忠節が嫡子となった。
酒井 忠恕(さかい ただよし、安永6年(1777年) - 文化元年7月4日(1804年8月9日))は、出羽松山藩酒井家の人物。酒井忠起の長男・忠夷の子。
出羽松山藩内での家督継承抗争に伴い、給米3000俵を与えられて別家を立てた。