邪宗門
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
邪宗門(じゃしゅうもん)
邪宗門(じゃしゅうもん)とは、邪悪な宗教のこと。一般的にはキリスト教の事と解されている。ただし、これは豊臣政権及び徳川幕府(江戸幕府)による政治用語と呼ぶべき性格の言葉であり、宗教用語とは言い難い。また、キリスト教以外にも日蓮宗不受不施派など「邪宗門」とされた宗教も存在していた。
豊臣秀吉が天正17年(1589年)に出した伴天連追放令以後、太陽神・天照大神の末裔である天皇と天皇によって任命され政治的な正統性を付与された関白及び将軍(幕府)の至上性を認める宗門のみが日本における正法(正しい宗教)であり、これを認めない宗門は日本の正統な国家秩序を破らんとする「邪法」を奉じる宗門、すなわち「邪宗門」であるとの位置付けが行われ、江戸幕府もこれを継承して島原の乱などを通じて多数のキリスト教徒が迫害された。これにより、一般民衆に対してキリスト教=邪宗門とする観念が植え付けられた。
ただし、邪宗門はあくまでも日本の正統な国家秩序に敵対するとされた宗教を指すものであり、豊臣秀吉や徳川家康の命令への非服従を貫いた日蓮宗不受不施派や宗門改などを通じた国家による宗教統制下にない民間宗教や新宗教なども邪宗門の中に含まれていた。
明治維新の直後に明治政府から出された五榜の掲示の中にはキリスト教禁止が掲げられてなおかつ文中に「切支丹邪宗門」の文言がある事を知った欧米諸国は明治政府に猛抗議を行い、慌てて「切支丹・邪宗門」と訂正させたとされている。だが、明治6年(1873年)のキリスト教解禁までには紆余曲折があり、特に300年近くにわたってキリスト教=邪宗門の観念を植え付けられてきた一般民衆の間にも解禁に対する恐怖を訴える者もあったとされている。その不安と蔑視はキリスト教解禁後も続き、国家及び民間からの様々な圧迫が日本のキリスト教徒に対して加えられていく遠因にもなった。