輪島塗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
輪島塗(わじまぬり)とは石川県輪島市で生産される漆器である。
目次 |
[編集] 特色
輪島塗は厚手の木地に生漆、米糊、焼成珪藻土を混ぜた下地を厚く施し、丈夫さに重きをおいた漆器である。 特に微生物の死骸からなる珪藻土は「輪島地の粉」として輪島塗の大きな特徴である。通常、漆工では桧のヘラを使って下地作業を行うが輪島のある能登地方には桧が分布していないため、代用材として同じヒノキ科のヒバ(アスナロ)をヘラ木として用い、特に能登地方ではヒバを「アテ」と呼称している。ヒバ材は桧よりも許容応力度がわずかに劣るものの、ほぼ同様の性質を持ち輪島地の粉を使った下地作業には最適とされている。
[編集] 歴史
現在では日本を代表する有名な産地となった輪島であるが輪島塗の起源は新しく、江戸時代享保期頃より「輪島塗」として技術が確立し、他国への販路が開拓されていった。また、沈金の始まりもそれと時を同じくし、蒔絵が輪島でおこなわれるようになったのは江戸時代文政期にはいってからである。
[編集] 関係年表
- 元和2年 (1616年)加賀藩は、能登に七木保護の制を布告。自由な伐採を禁じた。
- 寛永年間 (1624年 - 1643年) 加賀藩は、漆の木の植林を奨励。
- 享保年間 (1716年 - 1735年) 塗物に彫刻を施す技巧が開発。輪島沈金の始まりとなる。
- 文政年間 (1818年 - 1829年) 会津塗の蒔絵師安吉から蒔絵の技法を習得。
- 明治25年 (1892年) 目つぶしカンナが、発明される。
- 明治36年 (1903年) 蒸気機関を動力とした轆轤(ろくろ)が導入される。
- 明治45年 (1912年) ロクロの動力が電力になる。
- 昭和30年 (1955年) 前大峰、無形文化財漆芸(沈金)技術保持者に認定。
- 昭和42年(1967年) 石川県立輪島漆芸技術研修所完成
- 昭和50年(1975年) 旧通産省指定伝統的工芸品指定を受ける。
- 平成3年(1991年)石川県輪島漆芸美術館開館
- 平成19年(2007年)3月能登半島地震 震度6強の地震により大きな被害を受ける。