豪友会
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五代目豪友会(ごうゆうかい)は、高知市に本拠を置く日本の暴力団で、指定暴力団・六代目山口組の2次団体。
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[編集] 略歴
[編集] 初代豪友会
昭和36年(1961年)8月、高知市の三代目山口組 中井組(組長・中井啓一)の組員・中山勝正が、「自動車愛好会」を「豪友会」に改称した。
同年、中山勝正は、中井組若頭になった。
昭和47年(1972年)、山口組・田岡一雄組長から盃をもらい、山口組直参になった。
昭和52年(1977年)12月、加茂田組・加茂田重政組長、細田組・細田利明組長、正路組・正路正雄組長、中山勝正は山口組若頭補佐になった。
昭和59年(1984年)6月5日午後3時、山口組直系組長会で、竹中正久は、山口組四代目組長就任の挨拶をした。山本広を山口組四代目に支持していた直系組長は、直系組長会に出席しなかった。
同年6月23日、中山勝正は山口組若頭になった。
同年8月5日、山一抗争が勃発した。
詳細は山一抗争を参照
昭和60年(1985年)1月26日午後9時過ぎ、竹中正久は中山勝正と山口組南組・南力組長は、大阪府吹田市のマンション「GSハイム第二江坂」の1階エレベーター前で、二代目山広組若頭・後藤栄治に指揮された二代目山広組組員・田辺豊記、同組組員・長尾直美、同組組員・立花和夫に銃撃された。南力はほぼ即死。中山勝正も4時間後に死亡した。
詳細は中山勝正を参照
[編集] 二代目豪友会
昭和60年(1985年)、岡崎文夫が二代目豪友会を継承した。
詳細は岡崎文夫 (ヤクザ)を参照
[編集] 三代目豪友会
詳細は池本審を参照
[編集] 四代目豪友会
詳細は山内鐘吉を参照
[編集] 四代目豪友会
詳細は山本克博を参照
[編集] 歴代会長
- 初代:中山勝正(四代目山口組若頭、元中井組若頭)
- 2代目:岡崎文夫(勝友連合初代会長)
- 3代目:池本審(五代目山口組若中)
- 4代目:山内鐘吉(五代目山口組組長秘書)
- 5代目:山本克博(六代目山口組総本部当番責任者、元二代目智友連合会長、旧山克組組長)
[編集] 最高幹部
- 会長・山本克博
- 会長代行・横堀正一(誠龍会会長)
- 若頭・加藤徹司(四代目坂井組組長)
- 会長補佐・土居学令(旭成会会長)
- 会長補佐・森本茂雄(大龍会会長)
- 若頭代行・大塚和仁(和仁興業会長)
- 本部長・谷脇修(谷脇組組長)
- 若頭補佐・刈谷俊也(刈谷総業会長)
- 若頭補佐・永石伸二(三代目智友連合会長)
- 若頭補佐・岡本俊一(鐘心会会長)
- 若頭補佐・村瀬秀樹(村秀総業組長)
- 若頭補佐・伊勢田和義(大導連合会会長)
- 若頭補佐・矢野博文(博誠会会長)