谷衛滋
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谷 衛滋(たに もりしげ、文化14年2月2日(1817年3月19日) - 明治8年(1875年)4月6日)は、丹波山家藩の第13代(最後)の藩主。
常陸府中藩主・松平頼説の五男。正室は谷衛昉の娘(谷衛弼の養女)。子は谷寿衛(長男)、娘(島智雄養女)、娘(山口某室)、娘(本多某室)。官位は従五位下。大膳亮。
安政3年(1855年)、先代藩主・衛弼の死去により養子となって藩主に就任した。明治維新では西園寺公望が指揮する山陰道鎮撫軍に降伏した。明治2年(1869年)の版籍奉還で藩知事、明治4年(1871年)の廃藩置県で免官となる。明治7年(1875年)4月6日、59歳で死去した。
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