観世音寺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
観世音寺(かんぜおんじ)
観世音寺 | |
---|---|
本堂 |
|
所在地 | 福岡県太宰府市観世音寺5-6-1 |
位置 | 北緯33度30分54.08秒 東経130度31分16.72秒 |
山号 | 清水山 |
宗派 | 天台宗 |
本尊 | 阿弥陀如来(金堂) 聖観音(本堂) |
創建年 | 天平18年(746年) |
開基 | 天智天皇 |
文化財 | 梵鐘(国宝)、木造聖観音坐像他17件(重要文化財) |
観世音寺(かんぜおんじ)は、福岡県太宰府市にある天台宗の寺院。山号を清水山と称する(ただし、古代の寺院には山号はなく、後世に名付けたもの)。本尊は阿弥陀如来(金堂本尊)と聖観音(本堂本尊)、開基は天智天皇である。奈良時代に創建された、九州を代表する古寺で、平安時代以降は徐々に衰退したが、仏像をはじめとする文化財を豊富に有する。
目次 |
[編集] 起源と歴史
九州随一の仏像彫刻の宝庫である観世音寺の縁起は何故か伝わっておらず、関連文書として最も古いものでは延喜5年(905年)成立の「観世音寺資財帳」である。
『続日本紀』(しょくにほんぎ)の記述によると、観世音寺は、天智天皇が母斉明天皇の追善のために発願したもので、斉明天皇は661年に没していることから、それからほどなく造営が始められたと思われる。『続日本紀』の和銅2年(709年)の記事によると、この時点で造営はまだ完了しておらず、完了したのは発願から約80年も経った天平18年(746年)のこととされている。
しかし、『二中歴』には観世音寺創建は白鳳元年(661年)のことであると記されており、観世音寺創建を7世紀中頃のこととする説もある。創建時の観世音寺の瓦とされるものは、老司 I式と称され、藤原京の瓦よりも古く編年されている川原寺と同形式のものである。川原寺の創建は、7世紀中頃とみられるので、同型の瓦を持つ観世音寺の創建も7世紀中頃と考えられる。また「本朝世紀」康治2年(1143年)7月19日条には、観世音寺の本尊金銅阿弥陀如来像は百済渡来であると記されているので、これが百済から献上されたとすると、百済滅亡(663年)以前の出来事となり、観世音寺創建は7世紀中頃のこととなる。また698年の紀年銘のある京都・妙心寺の梵鐘と同一デザインの兄弟鐘が観世音寺に伝わることから、7世紀末ころまでにはある程度の寺観が整っていたものと推測される。
現在残る観世音寺の建物はすべて近世の再建で、昔の面影はないが、発掘調査によると、回廊で囲まれた内側の東に塔、西には金堂が東面して建つ、川原寺式に近い伽藍配置であった。その後天平宝字5年(761)、鑑真によって当寺に戒壇院が設けられた。これは、僧になる者が受戒をするためにわざわざ都へ出向かずとも、観世音寺で受戒ができることを意味した(奈良の戒壇院、観世音寺、下野薬師寺を天下の三戒壇と称する)。
平安時代以降の観世音寺は、たび重なる火災や風害によって、創建当時の堂宇や仏像をことごとく失っている。康平7年(1064年)には火災で講堂、塔などを焼失。現存する当寺の仏像は、大部分がこの火災以後の復興像である。康和4年(1102年)には大風で金堂、南大門などが倒壊している。金堂はその後復旧したが、康治2年(1143年)の火災で再度焼失している。
寛永7年(1630年)の暴風雨で、当時唯一残っていた金堂が倒壊し、観世音寺は廃寺同然の状況に追い込まれた。翌寛永8年(1633年)に金堂が、元禄元年(1688年)には本堂(講堂)が、藩主黒田家によって復興され、どうにか古寺としての面目を保ってきた。平安時代後期以来、東大寺の末寺であったが、明治時代以降は天台宗寺院となっている。
大正2年(1913)から同4年にかけて、傷みの激しかった諸仏の修理が行われた。昭和34年(1959)には鉄筋コンクリートの宝蔵が完成。これは、寺院の文化財収蔵庫としては早い時期につくられたものである。宝蔵には像高5メートル前後の巨像3体(馬頭観音、不空羂索観音、十一面観音)をはじめ、金堂、本堂(講堂)に安置されていた諸仏が収蔵・公開されている。
[編集] 伽藍
- 阿弥陀堂(金堂)-寛永8年(1631)再建
- 本堂(講堂)-元禄元年(1688)再建
[編集] 文化財
国宝
- 梵鐘 - 奈良時代。無銘であるが、京都・妙心寺鐘、奈良・当麻寺鐘等とならぶ日本最古の梵鐘の一つと考えられている。戊戌年(西暦698年)の銘を有する妙心寺鐘とは寸法・意匠などの細部まで一致しており、同じ原型を用いて鋳造した兄弟鐘と推定されている。
重要文化財
(以下の諸像のうち、聖観音立像と阿弥陀如来立像以外は宝蔵に安置)
- 木造聖観音坐像-旧本堂(講堂)本尊。治暦2年(1066年)の作。
- 木造馬頭観音立像-旧本堂所在。像高5メートルを超える平安後期の大作。
- 木造不空羂索観音立像-旧本堂所在。像高5.2メートル。奈良時代作の前身像(塑像)が倒壊後、貞応元年(1222年)に復興したもの。解体修理の際、像内から破損した前身像のものと思われる、奈良時代の塑像断片と塑像心木が発見された。
- 木造十一面観音立像-旧本堂所在。像高5メートル。延久元年(1069年)の作。
- 木造十一面観音立像-旧本堂所在。像高3メートル。
- 木造阿弥陀如来坐像-旧金堂本尊
- 木造十一面観音立像-旧金堂所在。
- 木造四天王立像-旧金堂所在。
- 木造大黒天立像-旧金堂所在。
- 木造吉祥天立像-旧金堂所在。
- 木造兜跋毘沙門天立像-旧金堂所在。
- 木造地蔵菩薩立像-旧金堂所在。
- 木造地蔵菩薩半跏像-旧金堂所在。
- 木造聖観音立像-旧金堂所在。現在、本堂に安置。
- 木造阿弥陀如来立像-旧金堂所在。九州国立博物館に寄託。
- 石造狛犬
- 舞楽面3面
- 天蓋光心
[編集] 所在地・アクセス
[編集] 参考文献
- 井上靖、佐和隆研監修、江上栄子、石田琳彰著『古寺巡礼西国6 観世音寺』、淡交社、1981
- 『週刊朝日百科 日本の国宝』23号(福岡市博物館、観世音寺ほか)、朝日新聞社、1997
- 日本歴史地名大系 福岡県の地名』、平凡社
- 『角川日本地名大辞典 福岡県』、角川書店
- 『国史大辞典』、吉川弘文館