若島和美
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若島和美(わかしまかずみ、旧姓:田尻、1949年 - )は長崎県上五島出身の右翼団体正氣塾副長である。
彼の名前を有名にしたのは、1990年の長崎市長銃撃事件である。当時彼は東京本部長代行の役職に就いており、姓は田尻であった。天皇に政治責任はあると発言した本島等を銃撃し、重傷を負わせ服役した。重傷ではあったが、本人は銃撃後「大丈夫か」と声をかけており、もし市長が死亡した場合腹を切る覚悟であったといわれる。出所後、2003年4月20日に統一地方選に立候補し、長崎市長を目指したが落選。
2004年7月27日、義友連合会の二人とともに読売ジャイアンツの球団事務所を訪問し、同球団オーナーの渡辺恒雄に対し、読売球団が明治大学野球部の一場靖弘投手へ、栄養費の名目で200万円を握らせていた件に関し抗議を行ったが返答が無いとして、8月4日には正氣塾の街宣車で駆けつけ球団事務所と読売本社に抗議を行う。この行為との因果関係は定かではないが、これからほどなくして渡辺はジャイアンツのオーナーを辞任した。
2003年6月下旬女性弁護士の事務所に街宣活動も行っていたが、名誉毀損で訴えられ2004年12月6日に起訴された。時期的に渡辺恒雄による報復ではないかとも囁かれた。弁護側は公益目的だと主張したが、「思いつきの個人攻撃」として2005年4月22日に有罪の判決。ただし、日弁連から懲戒処分を受けている弁護士であり被害の程度は軽いとして懲役刑は免れ、罰金50万円の処分となった。
また、2006年4月24日には2ちゃんねる上に流されていた噂を真に受けてしまったのか、「ラジオ番組内で反日的発言があった」として爆笑問題太田光の事務所の前まで街宣カーで押し掛けた。5月26日になって判明した直後に、正氣塾のサイトのBBSが荒らされた。
2007年の東京都知事選でも立候補のために必要な書類を取得しているが、資金面などで手当がつかなったため立候補していない。
2007年4月17日には30代からの知り合いで、出所した際は「よくやった」「本島はやられて当たり前」と言っていた知り合いの男が長崎市長伊藤一長を射殺している。4月18日には山形の拘置所で加藤紘一の実家に放火した男と面会した。