船舶解体
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船舶解体(せんぱくかいたい)とは、船舶をスクラップや再利用できる部品などに、解体することである。
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[編集] 歴史
船舶解体は、20世紀の終わりまでは先進国、とりわけ日本の造船所などで行われていた。第二次世界大戦後、日本では大規模な造船ラッシュになったこともあり、各国で不要になった戦時中の軍艦などが数多く持ち込まれ、解体された。特に、アメリカからアルゼンチンやチリなどへ輸出された旧式戦艦の多くは、日本で解体された。皮肉なことに、大艦巨砲主義時代の戦艦のうちかなりの数が戦後の日本で解体され、最後を迎えていった。
20世紀の終わり以降は、事情が変わっている。多くの船舶は、インドのグジャラート州・アラン(Alang)や、バングラデシュのチッタゴンなどの発展途上国の遠浅で干満差の大きな砂浜において、無数の未熟練労働者によって解体されている。船主は、解体に伴うコストを軽減・忌避するためバングラデシュなどに船を輸出し、現地の解体業者は、解体した船の残骸をスクラップとして売却している。
[編集] 概要
解体される船舶は最後の航海で、満潮を利用して砂浜に全速力で乗り上げて放置される。解体場となる遠浅の広大な浜辺では、タンカーなどの廃船数百隻が幽霊のように浮かび、大型動物の死体のように、少しずつ解体され分解してゆく非現実的な光景が見られる。しかし鉄の船を切り刻み、スクラップを人力で担いで陸地に運ぶ作業は危険なため、ある一つの会社だけで、年間360人以上の割合で多くの死者を出している。危険ではあるが、「飢餓で死ぬより働いて死んだ方が良い」とし、労働希望者は多数存在する。また、直接事故死にはいたらずとも、船舶にはPCBや水銀・鉛・アスベストなどが使用されているほか重油などが残留しているため、解体作業員の健康は蝕まれ、周辺の街の住民にも大きな健康被害が懸念されている。解体は波打ち際で行われるため、多くの有害物質や重油が海に流失していることも懸念材料である。
こうした船の解体に際し、船主は複雑な船籍変更を行い、元の所有者を追跡困難にした状態で輸出している。これら危険作業や、有害物質の途上国への輸出には批判も多く、船舶は2004年11月のバーゼル条約で有毒廃棄物と規定された。船主は解体前に有害物質を除去する責務を負い、船舶の解体はドライドックなど汚染物質を遮断できる設備で行うことが望ましくなる。しかし、依然として南アジアへの廃船輸出は多く、フランスが解体のためインドに輸出した空母クレマンソーが、アスベスト残留量が多いため、インド政府により入港を断られる事態も起きている。
2004年からの新造ラッシュに建造された船舶が、解体時期を迎える2030年頃には、世界的な船舶解体ヤードの不足が懸念されている。
日本における船舶解体業者は、瀬戸内海を中心に10社が営業している。そのほとんどが機械化されており、インド・パキスタンで行われている解体とは、大きく作業内容が異なる。日本における船舶解体の特徴は、ドライドックまたは大型クレーンによる陸揚げ後、モビルシャーと呼ばれる鋼材切断アタッチメントをつけた重機により、船体の切断作業が行われている。
[編集] 参考文献
- 『船舶解体―鉄リサイクルから見た日本近代史』 佐藤 正之 花伝社 ISBN 4763404318
[編集] 外部リンク
- End of the Line Brendan Corr による、チッタゴンでの船舶解体を描写したフォトエッセイ
- グーグルの衛星写真より、インド・アランの船舶解体場
- 1998年のピュリッツァー賞を受賞した、ボルチモア・サン紙によるアランでの船舶解体産業のリポート
- 上記記事に関する対談
- 国際労働機関(ILO)による船舶解体に関する報告
- グリーンピースによる船舶解体のページ