耶律夷列
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
姓名 | 耶律夷列 |
年号 | 紹興 1132年-1134年 |
廟号 | 仁宗 |
字 | - |
諡号 | 紹興皇帝 |
生没年 | 生年不詳-1163年 |
在位 | 1150年-1163年 |
耶律 夷列(やりつ いれつ、契丹音;ヤリュートイリ、? - 1163年、在位は1150年 - 1163年)は、西遼の第2代の皇帝。初代の皇帝の徳宗・耶律大石の末子で、第3代皇帝の末主・耶律直魯古(=チルク)の父に当たる。諡号は仁宗。
目次 |
[編集] 略歴
1143年、父の大石が58歳で死去した時はまだ幼かったため、生母の感天蕭太后・塔不煙(タプイェン)が摂政となり、その補佐を得た。やがて1150年に母が亡くなると、姉の承天太后・普速完(プスワン)の補佐で成り立った。夷列は、女性に実権を握られるなどあまり主体性のない君主だったようである。在位20年(生母の権国期間7年も含む)で若くして逝去したという。
[編集] 宗室
[編集] 子
- 蛮王 耶律某
- 末主 耶律直魯古
[編集] 『遼史』の記述
『遼史』(巻三十 本紀第三十)に「子夷列年幼,遺命皇后權國。后名塔不煙,號感天皇后,稱制,改元咸清,在位七年。子夷列即位,改元紹興。籍民十八歲以上,得八萬四千五百戶。在位十三年歿,廟號仁宗。」とある。
|
|