結束信二
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結束信二(けっそくしんじ、1926年8月6日 - 1987年5月30日)は、脚本家。東京市淀橋区生まれ。特攻隊員として熊本隈庄の飛行隊基地で終戦を迎える。作品には特攻隊の生き残り特有の思想が現れている。
父の結束武次郎は中国で客死した国際通信社の幹部、10代の頃より父と友人だった根岸寛一は東映の京都撮影所に就職を世話している。1950年東横映画京都撮影所へ入社。約150本の劇場用映画作品を送り出した。
1964年に東映京都テレビプロダクションが設立されると、テレビ界に身を転じ、数多くのテレビドラマの脚本を執筆。 1965年に放映された新選組血風録では当時無名だった栗塚旭、島田順司、左右田一平らを抜擢し大ヒットさせている。
晩年は舞台の脚本・演出も手がけ、脚本講座の講師も務めた。
1987年3月に脳梗塞で倒れ、同年5月30日に死去。墓は京都市北区の誠心寺にあり、碑には「結束さんは人生をよき景色としてみていたすばらしい心のもちぬしでした」との司馬遼太郎の筆による文字が刻まれている。