細野藤敦
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細野藤敦(ほそのふじあつ、天文10年(1541年) - 慶長8年(1603年))は伊勢国の豪族、長野氏の一族。父は細野藤光で、分部光嘉、川北藤元の兄。
剛勇を以て知られるが、北畠家より養子に入った主君長野具藤とは仲が悪かった。
1568年に織田信長が長野領に侵攻してきたときは、和睦を主張する弟分部光嘉らの反対を押し切って、自城に籠って防戦しようとした。 分部光嘉、川北藤元らは織田家に内応して織田信包に長野氏の跡を継がせるべく画策し、藤敦が織田家に寝返ったと讒言して、具藤に藤敦を攻めさせた。 藤敦はやむなくこれを撃退し、具藤を追放して織田家に降伏することとなった。
後に豊臣秀吉が天下人となると、その家臣として仕えた。