箱根ターンパイク
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
種類 | 株式会社 |
---|---|
市場情報 | 非上場
|
本社所在地 | 神奈川県小田原市早川2-22-1 |
事業内容 | 自動車道・関連施設の管理・運営等 |
代表者 | 代表取締役 橋本武寛 |
資本金 | 3700万円 |
外部リンク | http://www.htpl.co.jp/ |
箱根ターンパイク(はこねターンパイク)は、神奈川県小田原市から箱根町を経由し、同県湯河原町に至る、延長15.782kmの観光有料道路(一般自動車道)で、箱根ターンパイク株式会社(HTPL)が保有・運営する私道である。因みにターンパイク(turnpike)とは有料(高速)道路、トール-ロードを意味する。
箱根ターンパイク株式会社と東洋ゴム工業はネーミングライツに関して合意し、2007年3月1日から「箱根ターンパイク」から「TOYO TIRES ターンパイク」に名称が変更された。道路が、ネーミングライツで名称変更されるのは、日本初である。
目次 |
[編集] 概要
大観山線(13.782km)と十国線(1.700km)の2路線からなる。カーブ・勾配とも比較的緩やかであるが、下りの場合はエンジンブレーキ・回生ブレーキを使用しないとブレーキが利かなくなるおそれがある。そのため、エンジンブレーキの使用を促す注意書きと、緊急時に衝突して停止するための砂山(緊急避難所)がある。
大観山線の終点付近にはターンパイク・ビューラウンジ(ドライブイン大観山)があり、ここから見る芦ノ湖や富士山の景色は素晴しい。
2006年4月1日現在、普通車の通行料金は大観山線区間が700円、十国線区間が150円であり、全線では850円となる(1km単価53.8円)。両区間は独立しているので、料金は別々に支払う必要がある。なお、料金所付近ではカラーコーンでUターンができないため、利用する意図が無い場合は注意が必要である。また、2007年3月から次世代型料金収受システム(IBAサービス)を導入している(サービスの利用には多機能型ETC車載器と事前の会員登録が必要)。
営業時間は、大観山線と十国線とで異なり(詳細)、夜間は全線が完全に封鎖され通行できない。
2002年の時点の報告では1日平均通行台数3,196台、営業収支率は98.8%であり支出が収入を微妙に上回る、いわゆる赤字事業路線である。
[編集] 運営主体
もともと東急グループの開発計画に伴って建設されたものであり、長年、東急グループの東急ターンパイクが保有・運営していた。しかし、赤字が続いたこともあり、2004年3月にオーストラリアの投資会社・マッコーリー銀行グループが主体となるインフラストラクチャー・ファンドが設立した箱根ターンパイク株式会社に営業譲渡されて、運営が移管している。
マッコーリー等の買収は、年金基金など内外の長期資産運用を考えている投資家から資金を募り、箱根ターンパイクからの通行料収入や直営ドライブインからの収益を分配する目的がある。インフラとして既に完成しているため、新たに建設するのに比べすぐに収益を分配できる利点がある。
諸外国ではこのようなインフラ(有料道路だけでなく、鉄道・発電所・港湾施設など多岐に渡る)を買収し、ファンドとして組成し資産運用に供する例が多くなっているが、日本では初のケースである。
[編集] 箱根新道との競争
カーブ、勾配とも比較的緩やかで快適なドライブを提供する民間道路であるが、ほぼ同じ起終点(芦ノ湖付近⇔箱根湯本早川付近)区間を並走し競合する箱根新道(中日本高速道路株式会社運営の国道1号バイパス、延長13.8km、普通車250円、km単価18.1円)と比較して非常に高額な通行料金である。そのため、費用対到達時間効果では箱根ターンパイク側には歩がなく、競争にならない。
そこで、箱根ターンパイク側は快適さを重視する観光客へのアピールと、箱根新道および新道までの取付道路、更には真鶴道路が混雑しているときの「更なる迂回路(バイパスのバイパス機能)」としての価値で勝負している。実際にレジャーシーズンの休日等は前述2道路は有料でありながら、慢性的な交通飽和で速達性の確保を提供できない状態が多々発生する。そこで、主に金土休前日の下り(箱根山登り)と日祝の上り(山下り)の利用客獲得のため、電光掲示看板サインや、手製ミニ標識で誘導するなど自社路線への誘導活動を展開している。
[編集] 沿革
- 1954年(昭和29年)3月5日 - 東京急行電鉄(東急)が道路運送法に基づき渋谷~江ノ島間の一般自動車道(有料道路)「東急ターンパイク」を免許申請
- 1955年(昭和30年)2月16日 - 吉浜開発株式会社設立
- 1955年(昭和30年)8月23日 - 東京急行電鉄が小田原~箱根間の一般自動車道(有料道路)「箱根ターンパイク」を免許申請
- 1957年(昭和32年)8月26日 - 東京急行電鉄が藤沢~小田原間の一般自動車道(有料道路)「湘南ターンパイク」を免許申請
- 1957年(昭和32年)11月5日 - 吉浜開発株式会社が東急の傘下に入る
- 1960年(昭和35年)5月12日 - 「箱根ターンパイク」の事業免許を取得。「東急ターンパイク」は第三京浜道路と、「湘南ターンパイク」は西湘バイパスと競合したため認可されなかった。
- 1961年(昭和36年)5月10日 - 工事施行認可申請
- 1961年(昭和36年)10月19日 - 工事施行認可
- 1962年(昭和37年)10月19日 - 起工式
- 1963年(昭和38年)5月10日 - 吉浜開発株式会社が箱根ターンパイク株式会社に商号変更。東京急行電鉄から箱根ターンパイクの建設を引き継ぐ。
- 1965年(昭和40年)7月23日 - 大観山線が開通
- 1966年(昭和41年)12月1日 - 箱根ターンパイク株式会社が東急ターンパイク株式会社に商号変更
- 1967年(昭和42年)10月1日 - 十国線開通
- 1972年(昭和47年)3月31日 - 東急ターンパイク株式会社の経営悪化に伴い東京急行電鉄が自動車道と東急ターンパイク株式会社が所有する土地を62億8853万円で買収
- 1972年(昭和47年)4月1日 - 東京急行電鉄が東急ターンパイク株式会社に箱根ターンパイクの営業を委託
- 2004年(平成16年)3月1日 - 東京急行電鉄、経営を箱根ターンパイク株式会社へ約11億円で譲渡
- 2004年(平成16年)9月 - 東急ターンパイク株式会社解散
- 2005年(平成17年)7月30日 - 東京急行電鉄からの譲渡後、改装工事をしていたドライブイン大観山にターンパイク・ビューラウンジが新装オープンした。
- 2007年(平成19年)3月1日 - ネーミングライツを東洋ゴム工業株式会社が取得した事により、名称が「TOYO TIRES ターンパイク」となる。
[編集] インターチェンジなど
[編集] 大観山線
- ターンパイク西湘分岐線分岐(西湘バイパス小田原線)
- ターンパイク早川出入口(小田原市街、小田原厚木道路方面)
- 早川料金所
- 御所の入駐車場
- 見晴台駐車場
- 鍋割駐車場
- 白銀駐車場
- ドライブイン大観山(ターンパイク・ビューラウンジ)
- 1F フードコート
- 2F 展望ラウンジ・富士見トイレ(富士山が望める)
- 大観山出入口(神奈川県道75号湯河原箱根仙石原線・湯河原方面)
[編集] 十国線
大観山・富士見峠間は神奈川県道75号湯河原箱根仙石原線となる
- 富士見峠出入口(神奈川県道75号湯河原箱根仙石原線・芦ノ湖方面)
- 鞍掛料金所
- ターンパイク湯河原峠出入口(静岡県道20号熱海箱根峠線 - 伊豆スカイライン・熱海峠方面)
- 湯河原パークウェイに接続。
[編集] 関連項目
- 箱根ターンパイクのルートは、源頼朝が石橋山の戦いに敗れ湯河原に敗走したルートをほぼ踏襲している。
- 自動車の試乗・取材に使用される。また、最近では自動車専門誌やなどのTV番組で当道路が使用されるときは「撮影協力 箱根ターンパイク」とクレジットされている場合が多い。
- 走り屋がそこでタイムアタックを行ない、主人公のダイブツの駆けるスタリオン4WDラリーが記録を更新する。