箕面 (敷設艦)
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艦歴 | |
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計画 | |
起工 | 1944年11月29日 浪速船渠 |
進水 | 1945年5月13日 |
就役 | 1945年8月5日竣工 |
その後 | 戦後復員輸送船となる、後解体 |
除籍 | 1945年10月5日 |
性能諸元 | |
排水量 | 基準:3,224t 公試:5,200t |
全長 | 91.7m |
全幅 | 13.42m |
吃水 | 5.85m |
主缶 | 円缶1基 |
主機 | タービン1基1軸 1,200hp |
速力 | 11.0kt |
航続距離 | 不明(石炭) |
乗員 | 不明 |
兵装 | 12cm単装高角砲1門 25mm機銃14挺 6号機雷380個 爆雷24個 |
箕面(みのお)は、日本海軍の敷設艦。戦時標準船からの改造である。
目次 |
[編集] 概要
太平洋戦争終盤となると本土決戦に備え機雷敷設艦が多数必要となったが既にほとんどの敷設艦は戦没していた。そこで戦時標準船2DT型を改造して敷設艦とすることとした。当時建造開始直後だった本船を海軍が買収し、機雷敷設艦として完成させた。ただし、当時は貨物船も絶対的に不足しており、貨物船としても使えるようにデリックやハッチは残されていた。
艦の工事は他の船より優先されたが資材不足で工事が遅れ、完成は終戦直前になった。戦後は復員輸送任務に従事した。復員輸送任務終了後に本艦を貨物船として再就役させようとする動きもあったが、本艦が軍艦籍にあったためにGHQから許可が下りず、やむなく解体された。
[編集] 艦歴
[編集] 同型艦、準同型艦
本艦と同様の改装がされた艦船。
- 永城丸
- 特設敷設艦。2D型小型貨物船。1944年9月呉海軍工廠にて実験的に改造。機雷敷設は1回程度に終わった。1945年6月、米潜の雷撃により戦没。
- 第1281号艦
- 箕面(本艦)
- 第1282号艦
- 1945年2月1日起工。資材調達の目処が立たず4月に工事中止。戦後工事再開され1948年乾進丸として竣工。
- 光隆丸
- 特設敷設艦。2E型小型貨物船。工事をほぼ終え竣工直前だったが1945年7月に空襲により浸水着底。
[編集] 参考文献
- 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第14巻 小艦艇II』(光人社、1990年)
- 雑誌「丸」編集部『丸スペシャル 日本海軍艦艇シリーズ No.42 敷設艦』(光人社、1980年)
[編集] 関連項目
大日本帝国海軍の敷設艦 |
敷設艦 : 津軽 [I] | 阿蘇 | 勝力 | 常磐 | 厳島 | 八重山 | 沖島 | 津軽 [II] | 箕面 ■テンプレート/■ノート
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