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窪田鎮勝 - Wikipedia

窪田鎮勝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

窪田 鎮勝(くぼた しげかつ、 文化5年(1808年) - 明治11年(1878年))は、旗本(2000石)、徳川幕府最後の西国郡代。通称治部右衛門(じぶえもん)。晩年には先祖の蒲池姓から蒲池 鎮克(かまち しげかつ)と改名する。号は克斎。備前守窪田鎮章の父。扱心流体術の達人としても知られる。

目次

[編集] 生涯

[編集] 出自

肥後熊本藩柔術師範家のひとつである扱心流師範の江口秀種の子。秀種の父は幕臣高橋誠種であり、秀種の姉の夫が内藤吉兵衛で、その子の川路聖謨とは従兄弟になる。

幼少の頃に事件を起こし江戸に出、川路聖謨の父の内藤吉兵衛の周旋で、甲斐国武田氏家臣の後裔という幕臣の窪田氏の名跡を継ぎ窪田鎮勝(窪田治部右衛門)と名のる。武術に優れ、旗本となり、幕府講武所では柔術の教授となる。

鎮勝の父である江口秀種は、元は高橋誠種の子だが、江口鎮俊の娘の婿養子となり江口氏を継ぐ。江口氏は、柳川城主で南筑後地方に約12万石の勢力を持った筑後十五城の筆頭大名の蒲池氏第17代の蒲池鎮漣の娘の徳子と、大友氏重臣だった朽網鑑康(朽網宗暦)の子の朽網鑑房の子である朽網宗壽の次男蒲池鎮明の四代後の蒲池鎮康にはじまる。鎮康は筑後国上妻郡冨重村江口に住み江口鎮康と名のり、鎮康の2代後が窪田鎮勝の父の江口秀種になる。肥後柔術三道場のひとつである江口道場は、秀種の次子の江口鎮誠の子孫が受け継いだ。

 蒲池鎮漣━蒲池徳子━朽網(蒲池)宗壽━蒲池(鶴)鎮明--(三代略)--蒲池(江口)鎮康━江口鎮俊━江口秀種━窪田鎮勝(蒲池鎮克)

[編集] 浪士組取締役

御三卿田安徳川家の奥詰を務めていた鎮勝は、幕府が「尽忠報国の士」の募集を発表し浪士取締役に松平主税之介がなった時、中条金之助と共に取締役に任命される。

この浪士組清河八郎らによるものであり、京都に上り、そこから近藤勇土方歳三らの新撰組が生まれているのはよく知られている。 京都に上った浪士組に対して窪田鎮勝と中条金之助は江戸に残り、期日遅れの応募者への対応を勤めた。

浪士組、新撰組との関係でいえば、窪田鎮勝は、佐々木只三郎と交流があり、新撰組で後に伊東甲子太郎御陵衛士になる篠原泰之進は、一時期、窪田鎮勝の屋敷の居候となっていた。また「坂本龍馬を斬った男」とされる今井信郎は窪田鎮勝の柔術の弟子で、今井はその後、京都へ行き佐々木只三郎京都見廻組に入る。

窪田鎮勝は、浪士取締役の後、神奈川奉行所の定番役頭取取締の任を経て西国郡代になる。

[編集] 西国郡代

窪田鎮勝にとり、西国郡代として豊後国日田に赴任することは弟の江口鎮誠が家督を継いだ実家の江口家の郷里の近くに戻ることであり、また曾祖母の先祖の蒲池氏の地である九州に戻ることであり、かねてより希望していたことだった。

日田に赴任した鎮勝は、蒲池氏の菩提寺の崇久寺に墓参し、また同寺で、山門郡塩塚から来た柳河藩蒲池鎮之と何度か面談した記録が残っている。

鎮勝は神奈川奉行所に在勤中に学んだイギリス式兵制に倣い幕末には制勝隊を組織し、幕府側に立つが、無益な出血を厭い解散している。

[編集] 大攘夷論

攘夷論においては鎮勝は、津和野藩国学者・大国隆正らが唱えた「大攘夷」論の立場にあった。これは単なる攘夷ではなく、まず国内統一を行い、開国し、外国との交易により富国強兵を図ってでも、諸外国と対等に対峙出来る国力をつけるべきだという立場である。

[編集] 晩年

明治になると、他の旗本と同じく静岡に移り同地で死去。享年70。墓は万象寺にあり、「克斎蒲池先生」と刻まれ、静岡湾に面して立っており、横には鳥羽伏見の戦いで幕将として戦死した息子の鎮章の墓碑が並ぶ。

子孫である作家の広津和郎は、鎮克は晩年に交際のあった清水次郎長が鎮克の前で縁側に座ったためにつき飛ばしたと書いている。(町人は武士の家で縁側に座ってはいけないため)

[編集] 子孫

窪田鎮勝は晩年に蒲池鎮克と名のった。鎮勝は、自分が筑後柳川蒲池氏の子孫で、蒲池鑑盛の嫡男蒲池鎮漣の後裔ということに誇りを抱いており、いずれは蒲池に復姓しようと考えていたことによる。
実家の江口家は、弟の江口鎮誠が継ぎ、2千石の旗本である窪田の家督は、嫡子の窪田鎮章が継ぎ、先祖の蒲池姓は娘の鏡(けい)が継ぎ、神奈川奉行所組頭の志村佐一郎の子の鎮厚が婿養子となり蒲池鎮厚となる。蒲池鎮厚の娘の須美は作家の広津柳浪の妻となり広津和郎を生んでいる。。
蒲池鎮厚の子の蒲池正久には蒲池康志、蒲池繁夫、蒲池崇の3人の子がおり、蒲池崇の子の蒲池道晏の家に伝わる蒲池家系図学習院大学所蔵)が、蒲池鑑盛の三男蒲池統安の後裔である柳川藩蒲池鎮之の玄孫の松田聖子(蒲池法子)のザ・トップテン出演の時に示されたものである。

[編集] 参考文献

  1. 『徳川最後の西国代官』西澤隆治著 - ISBN 479470271X
  2. 『蒲池氏の歴史』蒲池大気・猷介著

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク


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