稲葉喜美子
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稲葉 喜美子(いなば きみこ、本名同じ、1957年3月8日 - )とは、1980年代半ばから1990年代始めに活動した神奈川県横浜市出身の女性シンガーソングライターである。
愛称は、Maria(マリア)である。
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[編集] 経歴
実家は横浜市内で自動車整備業を営んでおり、7人姉妹の末子だった。近隣から流れるFENをきいて音楽に目覚め、『特に影響をうけた音楽家はジャニス・ジョプリン、5歳から歌作りを始めた(本人談)』という。
学業などの傍ら14歳から市内・日の出町のライブハウスに出演し音楽活動を徐々に本格化。高校卒業後就職、会社員として働いていたが1979年ライオン・フォーク・ビレッジ関東地区大会グランプリ受賞。しかしまもなく大病を発症し、療養に専念、プロデビューは三年後の1982年まで待たなくてはならなかった。
1982年日本コロムビアからシングル「願ひごと~公園於」、アルバム「愛しき人へ」をリリース。強い感情移入、絶妙で確かな歌唱力、中島みゆきに類すると評価された暗くかつ鋭く恋愛・社会を抉る歌詞で1980年代半ばから1990年代前半にカルト的人気を博した。また数は決して多くはないが尾崎豊など、稲葉の影響があったことを自ら認めたプロ・ミュージシャンも存在する。
しかし、本人がたびたび健康を害していて(大の酒・煙草好きだったといわれる)、歴代の所属事務所が弱小な上、当時、演歌偏重の社風だった日本コロムビアはニューミュージック部門に力を入れてなかった。その上、ヒット曲・タイアップにも恵まれなかった。一度TBS朝ドラマの主題歌にはなったことがあるが、東宝の映画『姉妹坂』(原作大山和栄・監督大林宣彦)の主題歌に内定するも流れた。
そのため1993年アルバム「倖せの隣り」をリリースし、当時の事務所との所属契約が終了した後現在に至るまで、全く公式の活動(リリース・ライブ等)を行っておらず、本人は全く何の宣言もしていないがこれが事実上の引退だったという見解が日本のミュージック・シーンにすっかり浸透してしまった。しかし稲葉がいつか復帰してくれたら…とかすかな望みをもつ嘗ての支持者も少なくないのは事実である。
なお、稲葉は先述の通り1993年以降公式な活動をしてないため現況は全く不詳である。
[編集] ディスコグラフィー
全て日本コロムビアよりリリース
[編集] シングル
全タイトル稲葉活動停止後絶版となっている。
- 願ひ事~公園於~
- 男のひとは
- ゆりこ
- 川花火
- セ・ラ・ヴィ(「川花火」のB面をA面に転向して発売)
- 三日月に腰掛けて(TBS朝ドラマ主題歌)
- 電話
- シンデレラ・ヴァージン
[編集] アルバム
全タイトル稲葉活動停止後絶版となったが、『のおと』以外はコロムビアの発注製CD-Rソフトあ~る盤で購入可能である。
- オリジナルアルバム
- 愛しき人へ
- 燃えてそうろう
- あのこがほしい
- 朝未明
- 夢歩行(『三日月に腰掛けて』収録)
- NO COMMENT(『姉妹坂』主題歌内定も取消となった『セレナーデ』、『夢で遭えたら』収録)
- ENCORE(『シンデレラ・ヴァージン』収録)
- ベスト盤・企画ソフト
- HAPPY BIRTHDAY!(ベストアルバム)
- 倖せの隣り(自作の別アレンジ・新曲および朗読を収録の企画ソフト。稲葉の事実上最後の発表作品である)
- のおと(販売促進のための非売品、既発表曲ばかりだがライブ音源が収録されているのが特徴)
[編集] 他者への楽曲提供
- 渡辺徹『熱情』(1986年、EPのA面。同年の日本テレビドラマ春風一番!(渡辺主演)主題歌、作詞有川正沙子、編曲大谷和夫、『夢で逢えたら』と一部歌詞が相違、現在廃盤)
- 佐田玲子『シンデレラ・ヴァージン』(1989年、佐田EP『くらやみ乙女』&LP『ひとり歩き』に収録)
[編集] 出版物
[編集] 外部リンク
- wai wai park 稲葉の里 - ファンサイト
- カスタマイズCD - CD作成サービス(楽曲の試聴可)