福龍 (水雷艇)
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艦歴 | |
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計画 | |
起工 | |
進水 | 1885年 |
竣工 | 1886年 |
就役 | 1895年2月7日捕獲 2月27日、日本海軍籍に編入 |
除籍 | 1908年4月1日 |
要目(日本海軍時) | |
排水量 | 常備:115トン |
全長 | 垂線間長:42.75m (140ft 3in) |
全幅 | 5.00m (16ft 5in) |
吃水 | 1.20m (3ft 11in) |
機関 | 汽車缶1基 直立式2気筒2段膨張レシプロ1基 1軸 1,016馬力 |
速力 | 20ノット |
航続距離 | |
燃料 | 石炭:18トン(満載) |
乗員 | |
兵装 | 4.7cm保式単装軽速射砲2基 36cm水上魚雷発射管 単装旋回式2門、同固定式2門 |
福龍(ふくりゅう/ふくりょう)は日本海軍の水雷艇。日清戦争での鹵獲艇。
艦名は清時代の艦名の「福龍(Pu Lung)」をそのまま受け継いだ。竣工当初は福建水師所属で「福」の字の付いた名の艦が多く所属していた。片桐大自は艦名の読み方を「ふくりょう」としている。一方福井静夫は「拿捕後しばしば「ふくりやう」と呼ばれたが、正しくは「ふくりゆう」である。」(『日本駆逐艦物語』p254より引用)としている。
[編集] 概要
本艇はドイツ・シーシャウ社で1886年(明治19年)に竣工した、「小鷹」と同様の大型の水雷艇である。清国軍として日清戦争に参戦、黄海海戦では西京丸に40mまで近づいて雷撃を実施するなど奮闘した。1895年(明治28年)の威海衛攻略に於いて清国水雷艇は2月7日に湾からの脱出を図った。しかしほとんどの艇は擱座や転覆により失われ、本艇は日本軍に降伏、そのまま日本軍で使用された。2月27日に日本海軍籍に編入。
日清戦争後は同型艦が無いため竹敷要港部に所属し主に朝鮮半島沿岸の警備に従事した。1902年(明治35年)に老朽化した汽車缶から水管缶へとボイラーを交換し、単煙突から2本煙突にと艦型が変化している。
[編集] 参考文献
- 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』(光人社、1993年) ISBN 4-7698-0386-9
- 中川努「日本海軍特務艦船史」
- 『世界の艦船 増刊第47集』(海人社、1997年3月号増刊、第522集)
- 福井静夫『福井静夫著作集第5巻 日本駆逐艦物語』(光人社、1993年)ISBN 4-7698-0611-6