福井烈
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
福井 烈(ふくい つよし, 1957年6月22日 - )は、福岡県門司市(現北九州市門司区)出身の男子プロテニス選手。ブリヂストンスポーツ専属。日本テニス協会理事。JOC(日本オリンピック委員会)委員。柳川高等学校卒業。中央大学中退。
目次 |
[編集] 来歴・人物
小学校5年生の時に、兄の影響でテニスを始める。高校は強豪の柳川商業高校(現・柳川高校)に進学した。高校ではインターハイ3連覇を含む「169連勝」という記録を達成した。
アメリカにテニス留学をした後、中央大学に進学し、学生タイトルを総なめにした後、1977年に史上最年少の20歳で全日本テニス選手権を制覇した。その後1979年まで全日本3連覇を達成し、プロデビューした。
現役時代は、正確なストロークに定評があるオールラウンド・プレーヤーとして活躍した。全日本選手権シングルス優勝7回の史上最多記録を持つ。1978年から1987年まで、デビスカップ日本代表として史上最多出場(シングルス39試合、ダブルス3試合)を果たし、10年間デビスカップの日本代表選手を務めた。デビスカップでのシングルス勝利数(26勝13敗)は、今なお日本チームのシングルス最多勝利記録として残っている。彼は1979年から1987年まで、9年連続全日本ランキングシングルス1位を維持した。しかし、彼は日本国内での活動に重点を置き、海外の4大大会にはあまり出場しなかった(1980年の全仏オープンにダブルスで出場している)。
1992年から1996年までデビスカップ監督、1992年バルセロナ五輪日本代表監督、1996年アトランタ五輪のヘッドコーチ、2000年シドニー五輪の日本代表監督を務めた。近年は日本テニス協会理事、強化本部副本部長としてテレビ解説、雑誌での対談などを通して、テニスの楽しさを伝えるための活動を精力的に行っている。キャッチフレーズは“誠実な情熱家”と呼ばれている。
[編集] 主な戦績
- 全日本テニス選手権大会シングルス優勝7回(史上最多)
- 全日本室内テニス選手権大会シングルス優勝6回
- 10年連続デビスカップ日本代表(1979年-1987年) [シングルス通算26勝13敗は、日本チームの最多勝利記録]
- 9年連続JOPランキング1位(1979年-1987年)
- 1981年-1983年、1985年日本プロテニス協会MVP
- セイコースーパーテニス10回連続出場(1978年-1987年)