福井ミカ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
福井ミカ(ふくいみか、1949年4月17日- 。本名:福井光子)は、ロックバンド「サディスティック・ミカ・バンド」のボーカル、コーラス(当時は加藤ミカ)。日本では1994年に『ジャラン・ジャラン』というセルフ・プロデュース作品を世に出し、その才能を改めて実証した。加藤和彦の元夫人である。
目次 |
[編集] 来歴
もともと加藤和彦の大ファンで、ある日、楽屋に押しかけて、いきなり「加藤さん、ギター教えて下さい!」と迫ったという。その後、恋仲になり、1970年7月に結婚。加藤がロックバンドを編成する際に、ボーカル、コーラスとして参加。「サディスティック・ミカ・バンド」の結成に至る。
ボーカルに難ありと言われながらも、「タイムマシンにお願い」ではメインボーカルを担当。それなりにバンドの顔としての地位を築いたとの説もあるが、バンドの陰のリーダーだったとの説もある(後者の説については『ジャラン・ジャラン』が有力な裏付けとなっている[要出典])。
伝説のアルバムとなった『黒船』のプロデューサー、クリス・トーマスと、イギリスツアー中に恋愛関係になり、その後加藤と離婚、ミカ・バンドも解散した。ここに物事に執着心がない加藤和彦の性格が出ている、という説もある。
クリス・トーマスがプロデュースしたバッドフィンガーの『Wish You Were Here(素敵な君)』収録の「Know One Knows(誰も知らない)」での日本語のスポークン・ワーズもミカが担当した。
一時期は、作詞家として、織田哲郎の楽曲を提供した。
[編集] エピソード
YMOのアルバム『増殖』の「Nice Age」の中でニュース速報を読んでいるのは福井ミカである。ミカは1980年に公演のため来日したWingsと同行し帰日。しかしこのときポール・マッカートニーがドラッグを所持していたため拘置(のちに強制退去)され公演は中止になった。予定されていたYMOとのセッションも実現しなかった。『増殖』の録音中だったYMOがなにかメッセージをということで、ニュース速報という形でポールの妻リンダのメッセージがミカのナレーションで入れられた。この中の「22番」というのはポールの拘置中の番号で、「Coming Up Like A Flower」は同年4月になって発表されたポールのシングル「カミング・アップ」で歌われるフレーズである。
[編集] 作品
[編集] アルバム
- ジャラン ジャラン(1994年) - 音楽プロデュース・作曲・作詞
[編集] 著書
- ラブ&キッス イギリスは暮らしの達人
- ミカのチャンス・ミーティング - 中村俊夫との共著