ノート:神聖ローマ帝国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
皇帝の記事名ですが、他国の君主の記事で使用されている「名称 (神聖ローマ皇帝)」という形にしませんか?統一した形式の方が、わかりやすいと思うのですが。 秀の介 03:34 2004年6月5日 (UTC)
賛成です。フリードリヒ1世と2世だけは既にそうしてしまいました。
ブリキの太鼓叩き 2004年7月1日 (木) 02:31 (UTC)
[編集] 分割の提案
量は多くないですが、君主一覧は分割したほうがカテゴリが見やすいと思います。例Category:オーストリアの君主Zz2 2005年12月3日 (土) 01:48 (UTC)
-
- 本文の記述がもっと増えてから分割しようと考えていましたが、分割に賛成します。記事名は、各皇帝の記事名の括弧内にあわせて、「神聖ローマ皇帝の一覧」の方が良いかもしれません。--oxhop 2005年12月6日 (火) 14:07 (UTC)
分割には賛成します。ただ現在の一覧は王朝別になっていますが他の君主一覧と同様に代数順にすることを提案します。また、英語版にはen:List of German monarchs(「神聖ローマ皇帝一覧」)とen:List of Holy Roman Emperors(「ドイツ君主一覧」)の二つがありますが、この辺はどうしますか? 併せて、皇帝に戴冠した人物に全て「_(神聖ローマ皇帝)」を付け、戴冠しなかった人物を「_(ドイツ王)」あたりに移動したいと思うのですがいかがでしょうか。 ええとそれから現在、Category:神聖ローマ皇帝とCategory:ドイツの君主という二つのカテゴリがありますが、これはどうなんでしょうか…。―霧木諒二 2005年12月9日 (金) 18:14 (UTC)
- 神聖ローマ皇帝とドイツ王を分けるのは反対です。この2つは形式だけの違いで、実質上の違いはほとんどありません。現在のリストは神聖ローマ皇帝・ドイツ国王一覧で英語版のドイツ国王一覧に対応します。神聖ローマ皇帝になっていない者にマークを付けるくらいで十分でしょう。リストの名称は正確さをきすのだったら「神聖ローマ皇帝・ドイツ国王一覧」ですが、「神聖ローマ皇帝」や「神聖ローマ皇帝一覧」でも良いかと思います。
- それからCategory:神聖ローマ皇帝は、神聖ローマ帝国内の皇帝とドイツ王、ローマ王が含まれ、Category:ドイツの君主はドイツ帝国や領邦国家の君主ということで問題ないでしょう。 61.210.161.11 2005年12月10日 (土) 16:42 (UTC)
-
- 英語版でも皇帝一覧とドイツ王一覧の内容は大部分重複してますので、私は一方にしか記載しないように二つの一覧記事を作ろう、と提案したわけではありません。61.210.161.11さんの仰るとおり同じ一覧に皇帝と国王を区別できるように記載する、でよいと思います。それから「Category:ドイツの君主」は現在冒頭文と内容では「皇帝に戴冠しなかったドイツ王」と「ホーエンツォルレン朝のドイツ皇帝」を収めるようになってますね。この辺運用を変えたほうがいいのではないでしょうか。
- 個人的には「Category:ドイツの君主」は
- といった風にメタカテゴリとしたほうがいいような気がします。(この場合Category:ドイツ王やCategory:ドイツ皇帝あたりを新設する必要がありますが。)―霧木諒二 2005年12月10日 (土) 17:05 (UTC)
- 王朝別から時代順に変更という、霧木諒二さんの提案に賛成です。
- 神聖ローマ皇帝とドイツ王の一覧を1つのページとする61.210.161.11さん、霧木諒二さんの考えに賛成です。ドイツ語版と英語版ではリストの構成が少し異なるみたいですが、ドイツ語版のde:Liste der römisch-deutschen Herrscherに対応する一覧記事で十分だと思います。
- リダイレクトとなっている神聖ローマ皇帝は、ドイツ語版のde:Römisch-deutscher Kaiser、英語版のen:Holy Roman Emperorに対応する記事とするのが、他言語版との連携を重視すべきだというTreueさんの趣旨に合致すると思いますし、私もそうすべきだと考えています。
- 記事名に「_(神聖ローマ皇帝)」を付けるのは、Wikipedia:記事名の付け方/君主の記事名での結論が出てからの方が良いのではありませんか?--oxhop 2005年12月11日 (日) 07:49 (UTC)
[編集] ヴェストファーレン条約の評価
- 「(このためウェストファリア条約は帝国の死亡証明書とも呼ばれる。)そして神聖ローマ帝国は全く名目だけの存在となり、」
この部分に関してですが、近年のドイツ史研究(例えば山川の『ドイツ史』であるとか、当記事の参考文献にも挙がっている『神聖ローマ帝国 1495‐1806』であるとか)では、ヴェストファーレン条約は必ずしも帝国の死亡証明書ではなく、マクシミリアン1世に始まる帝国改造の帰結として帝国は新しく生まれ変わったという積極的な評価が為されているように思われます。こういった研究を反映させるべきではないでしょうか? カラジチ 2007年2月24日 (土) 08:59 (UTC)
反応が全くないので反映させました。 カラジチ 2007年11月2日 (金) 01:39 (UTC)