神戸市立葺合高等学校
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国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 神戸市 |
設立年月日 | 1939年 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
設置学科 | 普通科 国際科 |
所在地 | 〒651-0054 |
兵庫県神戸市中央区野崎通1丁目1-1 北緯34度42分39.8秒東経135度12分37秒 |
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電話番号 | 078-291-0771 |
FAX番号 | 078-271-5614 |
外部リンク | 公式サイト |
神戸市立葺合高等学校(こうべしりつふきあいこうとうがっこう)は兵庫県神戸市中央区にある高等学校である。
目次 |
[編集] 設置学科
- 全日制課程
- 普通科
- 国際科(旧称:英語科)
[編集] 沿革
[編集] 旧制神戸市立神戸中学校・旧制神戸市立第一中学校
- 1939年2月28日 - 文部大臣より設置認可 現在地(当時は『葺合区』)に設置
- 1939年4月1日 - 神戸市立神戸中学校開校 県立神戸一中の神中(じんちゅう)に対して戸中(べーちゅう)と通称される
- 1943年4月1日 - 神戸市立第二中学校(夜間部)発足により、神戸市立第一中学校に改称
- 1945年6月5日 - 空襲により校舎全焼
- 1945年9月1日 - 同区内の神戸市立雲中国民学校敷地内に移転
- 1946年9月1日 - 有馬郡道場村(現在の神戸市北区)の道場国民学校敷地内に移転
[編集] 神戸市立神戸高等学校・兵庫県立神戸市立神戸夢野台高等学校
- 1948年4月1日 - 新学制開始に伴い、校名が神戸市立神戸高等学校に変更となる
- 1948年5月25日 - 兵庫県立第二神戸女子高等学校敷地内に移転、併設
- 1948年9月1日 - 兵庫県立第二神戸女子高等学校が兵庫県立夢野台高等学校に改称
- 1950年7月1日 - 兵庫県立夢野台高等学校と合併し、兵庫県立神戸市立神戸夢野台高等学校と改称 男女共学となる
- 合併と改称に関する経緯については、兵庫県立夢野台高等学校の項を参照のこと
[編集] 神戸市立葺合高等学校
- 1951年4月1日 - 兵庫県立神戸市立神戸夢野台高等学校より分離独立 現在地に復帰し神戸市立葺合高等学校と改称。併せて校歌も制定
- 1964年9月8日 - 神戸市灘区の六甲山に『六甲山学舎』を開設
- 1986年4月1日 - 新たに『英語科』(現・『国際科』)を設置
- 1999年6月19日 - 創立60周年記念式典挙行
- 2003年4月1日 - 英語科に代わり、国際科を設置
- なお、現校名に改称する以前の2年間(1949年~1951年)は、神戸市立第三神港商業学校の後身校(現在の神戸市立六甲アイランド高等学校の前身)が葺合高校の名を使用していた(神戸市立灘商業高 → 神戸市立葺合高 → 神戸市立神戸商業高)。また、旧葺合高校の普通科は移転時に本校に統合された。
[編集] 校風
教育方針として、「自主の人たれ・創造の人たれ・世界の人たれ」を掲げている。
国際科の併設で毎年20人弱の帰国子女を受け入れているためか、規則には寛容である。 また、かつては制服もなかったことから自由な雰囲気が漂い、その自由な校風にあこがれ、受験生からの人気は依然高い。
[編集] 特色
- 毎年6月に行われる、文化祭である葺高祭は、例年大変な盛り上がりを見せている。
[編集] 部活動
- 運動部
- 野球部
- 陸上競技部
- バスケット部
- サッカー部
- 剣道部
- 柔道部
- なぎなた部
- 卓球部
- ソフトテニス部
- バレー部
- 水泳部
- 体操部
- 野外活動部
- 女子ハンドボール部
- 硬式テニス部
- 少林寺拳法部
- 文化部
- 吹奏楽部
- 文芸部
- 物理研究部
- 生物研究部
- 地学研究部
- E・S・S部
- 美術部
- コーラス部
- 写真部
- 茶道部
- 箏曲部
- コンピューター研究部
- 同好会
- 国際交流クラブ
- すぎな会
- 特別委員会その他
- 放送委員会
- 図書委員会
- 応援団
[編集] 主な出身者
- 井口俊英(大和銀行(現・りそな銀行)ニューヨーク支店元行員。トレーダー。小説家。)
- 小曽根真(ジャズピアニスト)
- 野坂昭如(作家、作詞家、歌手、元参議院議員)
- 小浜祐一(現オリックスバファローズ球団スタッフ。元阪急ブレーブス投手)
- 佐藤和輝(長崎文化放送 (ncc) アナウンサー)