神勅
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神勅(しんちょく)とは神の与えた命令、またその文書をさす言葉である。
[編集] 天壌無窮の神勅
一般的に神勅といえば、『日本書紀』の天孫降臨の段で天照大神が孫の瓊瓊杵尊らに下した以下の3つの神勅(三大神勅)のことを指す。
- 天壌無窮の神勅 -- 葦原千五百秋瑞穂の国は、是、吾が子孫の王たるべき地なり。爾皇孫、就でまして治らせ。行矣。宝祚の隆えまさむこと、当に天壌と窮り無けむ。
- 宝鏡奉斎の神勅 -- 吾が児、此の宝鏡を視まさむこと、当に吾を視るがごとくすべし。与に床を同くし殿を共にして、斎鏡をすべし。
- 斎庭(ゆにわ)の稲穂の神勅 -- 吾が高天原に所御す斎庭の穂を以て、亦吾が児に御せまつるべし。
さらに、同段で天照大神が臣下の天児屋命・太玉命に下した「侍殿防護の神勅」「神籬磐境の神勅」を併せて「五大神勅」という。
[編集] その他
天壌無窮の神勅については、古事記の天孫降臨の段にも「この豊葦原水穂国は、汝知らさむ国ぞと言依さしたまふ」という同様の文章がある。文章はそれぞれに異るが、瓊瓊杵尊およびその子孫が君主となって日本を治めることは、神の意志に基づくものであるとする内容が共通しており、瓊瓊杵尊の曾孫磐余彦が神武天皇として即位して以来、その地位が天皇家によって受継がれてきたと、かつては考えられていた。戦前期にあっては、天皇が日本の君主であることの、法制的・歴史的・宗教的根拠とされた(万世一系の項参照)。
神勅については、近世以前まではことさらな国粋主義的国学者などを別にすれば特に強調されることのない概念であったが、明治後期以降、急速な近代化の進展にともなって、共和政体や共産主義を志向する勢力の伸張や、天皇機関説が憲法学説において主流をなすようになると、これに対抗するための論理的根拠として用いられることが多くなり、特に戦中にあっては皇国史観や国体論と結び付けられて、政府公認のイデオロギーを支える基盤のひとつとして用いられた。