硫黄島通信所
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硫黄島通信所(Iwo Jima Communication Site)(いおうじまつうしんじょ)は、東京都小笠原村硫黄島に所在するアメリカ海軍の訓練施設である。横須賀を事実上の母港とする空母艦載機の夜間離着陸訓練(NLP)が行われている。
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[編集] 基地概要
- 施設面積: 6,631,769㎡
- 管理部隊:アメリカ海軍厚木航空施設隊
[編集] 施設の概要
硫黄島通信所は、通信所にも関わらず、訓練施設という不思議な施設である。かつては通信所として存在していたが、現在は運用を停止しており、通信所それ自体は遊休地となっている。
これまで厚木飛行場で行われていた夜間離着陸訓練が、住民運動により実施が困難になったことから、硫黄島で訓練を行うことになったが、その際に、海上自衛隊が使用している硫黄島航空基地を、日米共用飛行場として登録するのではなく、在日アメリカ海軍施設として登録されていた「硫黄島通信所」を訓練施設として登録変更すると言う形が取られた。
実態としては、硫黄島通信所は硫黄島に存在する飛行場施設そのものである。
硫黄島も参照のこと。
[編集] アメリカ軍使用までの経緯
1983年に、厚木基地で空母艦載機による夜間離着陸訓練が行われるようになると、騒音問題が大きな懸念事項になった。
同年12月に、三宅島村議会で「三宅島空港ジェット化促進のための官民共用空港誘致の意見書」が採択され、日本政府は三宅島を、厚木基地に代わる夜間離着陸訓練の重点候補地とする(採択の背景には、同年10月の三宅島噴火の被災による災害復旧のための資金が欲しかったという)[1]。。
しかし、翌1984年9月に村議員のリコール選挙が行われ、議会では基地反対派が多数派となる。また、島民の過半も反対派となった[1]。
三宅島への移転が島民の反発にあい、計画が進まない中、1988年8月には、瓦力防衛庁長官(当時)が、厚木基地は夜間離着陸訓練を行う場所として不適切として、硫黄島への実施場所移動について言及している[2]。
1989年1月には、暫定地として硫黄島とすることが発表された(米軍は、日本が訓練のための施設整備等を行うことを前提に、硫黄島で夜間離着陸訓練を行うことを同意した)[3]。工事は同年12月に始まる。
1991年6月18日に日米共同委員会において、すでに完成した施設の提供に合意(以後、数度にわたって施設提供についての合意が行われる)。同年12月には、硫黄島で初の夜間離着陸訓練が行われた。
1993年に当初予定していた施設が全て完成し、4月23日、日米共同委員会における施設提供の合意によって、硫黄島の諸施設は米軍に提供されることとなった[4]。