白鳥由栄
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白鳥 由栄(しらとり よしえ、1907年7月31日 - 1979年2月24日)は、元受刑者。収容先の刑務所で次々と脱獄事件を起こし昭和の脱獄王と呼ばれた。また当時の看守の間で「一世を風靡した男」と評されたほどの伝説の受刑者である。
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[編集] 概要
青森県出身。1933年に仲間数人と強盗殺人を犯し、その2年後に自首し投獄。収容された先の刑務所の待遇が劣悪だったことから抗議したところ懲罰を受けることとなり、次々と脱獄と収監を繰り返すこととなった。網走刑務所脱獄時には、放浪先で傷害致死事件を犯し収監の期間はさらに延長。網走の脱獄の際、手錠と監視口を錆びさせて脱獄という、時間任せの伝説的な話が残る。最後に捕まった際は警官に煙草を与えられただけで、あっさり自分が脱獄囚だと明かし自首。その後は模範囚として刑に服した。1961年に仮出所。出所後は建設作業員として就労。1979年、心筋梗塞で世を去った。刑に服しているとき、当時の看守は彼の脱獄を防止するため厳重に厳重を重ね、あらゆる手立てを行ったがいずれも振り切られた。このことから、当時の看守の間では「脱獄するなら、自分が当直以外のときであって欲しい。」と口にされるほど恐れられた(当時、看守側も脱獄者を出すと重い処罰が課せられたため)。
[編集] 脱獄歴
- 1936年 青森刑務所(針金で手製の合鍵を作り、開錠して脱獄)
- 1942年 秋田刑務所(ブリキ板と釘で作った即席金ノコで鉄格子を切断し脱獄)
- 1944年 網走刑務所(味噌汁で手錠と視察孔を錆びさせ外し、関節を脱臼させ、監視口をくぐり抜けて脱獄)
- 1947年 札幌刑務所(床下からトンネルを掘り脱獄)
[編集] モデル
- 破獄: 後にテレビドラマ化された、吉村昭による小説。吉村も前書きで、「矯正行政に長く関わった、とある人物」から聞いた話と述べている。
- 博物館網走監獄: 網走刑務所からの脱獄風景をマネキンにより再現している。
[編集] 関連項目
- 西川寅吉(明治時代から大正時代にかけて名を馳せた脱獄者)