白保台一
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白保 台一(しらほ たいいち、1942年8月3日 - )は日本の政治家。沖縄県八重山郡竹富町生まれ。
[編集] 概要
日本大学法学部卒業。
沖縄県議会議員(公明党)を3期務めた後、1993年、第40回衆議院議員総選挙に公明党公認で沖縄全県区から立候補し次点落選。 1996年、第41回衆議院議員総選挙に新進党公認で沖縄1区より立候補し初当選。新進党解党後は公明党に入党。2000年の第42回衆議院議員総選挙では自民党の下地幹郎とコスタリカ方式を結び、下地を自民党比例にし、白保を小選挙区で公明党候補として立候補して2回目の当選。2000年8月に沖縄開発総括政務次官に就任。
2003年、第42回衆議院議員総選挙は下地が自民党を離党したため、公明党公認・自民党推薦で立候補。選挙戦では下地との小選挙区での直接対決となったが、勝利し3期目の当選となる。2005年、第44回衆議院議員総選挙で再度下地と直接対決となるが、今度は敗れ落選。
2007年4月、沖縄県選挙区での参議院補欠選挙で候補者として名前が挙がるも、公明党副幹事長として統一地方選挙に専念するため、辞退した。
[編集] 公約
1993年の衆院選初立候補時、当時のサッカーJリーグブームを受けて早速「沖縄にJリーグチームをつくる」との公約を掲げ、大方の失笑を買ったものの、1999年にはサッカークラブチーム沖縄かりゆしフットボールクラブが結成され、2003年にはFC琉球が発足。当初の公約は十年越しで実現された形となった。
現在は国連諸機関の沖縄誘致などを掲げている。