甘露寺勝長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
甘露寺 勝長(かんろじ かつなが、文政11年3月20日(1828年5月3日) - 明治3年3月2日(1870年4月2日))は、江戸時代末期の公卿。藤原北家勧修寺流。父は正二位権中納言甘露寺愛長。母は藤本重武の娘。室に田原正直の娘がおり、子に甘露寺義長・鷺原量長・石山基文室が、養子に松崎万長(堤哲長の子)がいた。
蔵人頭を経て、明治元年(1868年)参議になる。従三位。明治天皇践祚の儀において奉行職事を勤め、桂宮伺候となる。明治3年(1870年)3月2日、43歳で薨去した。
[編集] 参考文献
- 小和田哲男『日本史諸家系図人名辞典』講談社、2003年。
- 近藤敏喬編『宮廷公家系図集覧』東京堂出版、1994年。