甘露寺兼長
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甘露寺 兼長(かんろじ かねなが、延文2年/正平12年(1357年) - 応永29年2月8日(1422年3月1日))は、南北朝時代・室町時代初期の公卿。藤原北家勧修寺流。父は権中納言甘露寺藤長(甘露寺家の祖)。兄弟に甘露寺良藤・万里小路嗣房室がいた。室は日野時光の娘。子に甘露寺清長・甘露寺房長・兼覚(興福寺別当)・甘露寺経子(後小松天皇典侍)・万里小路豊房(万里小路嗣房養子)がいる。
5歳で父藤長と死別するが、貞治3年(1364年)従五位上に叙され、以後累進して、永徳2年(1382年)11月6日に参議に任命される。応永8年(1401年)正二位に叙され、同16年(1409年)権大納言に任ぜられ、同20年(1413年)按察使を兼任。応永29年(1422年)従一位に昇叙され、同年2月8日に薨去。享年66歳だった。
[編集] 参考文献
- 小和田哲男『日本史諸家系図人名辞典』講談社、2003年。
- 近藤敏喬編『宮廷公家系図集覧』東京堂出版、1994年。