瑞龍山
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瑞龍山(ずいりゅうさん)は、茨城県常陸太田市瑞竜町にある水戸徳川家累代の墓所。現在は管理上の理由で一般には公開されていない。
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[編集] 歴史
水戸藩第2代藩主徳川光圀が初代藩主徳川頼房の遺志を受け継ぎ、寛文元年(1661年)にここを墓地と定めた。延宝5年(1677年)には伯父の武田信吉、生母靖定夫人の墓を改葬した。全山深い木々に覆われその所々に歴代藩主の墓がある。
[編集] 特長
葬儀墓制は日本には珍しい儒学の形式によるもので、チ(虫へんに璃の右側)首亀趺(ちしゅきふ:亀の胴体に竜の首が付いている台石)とよばれる墓の様式である。
[編集] 主な埋葬者
[編集] 朱舜水の墓
瑞龍山には累代藩主の墓以外に朱舜水の墓がある。朱舜水は、中国明代の儒学者であったが、明の滅亡に際し援助を求め来日し、清の成立に伴い亡命し、帰化した。その後、徳川光圀の招きで水戸藩を訪れ、水戸学思想に多大な影響を与えた。なお、常陸太田市は朱舜水の生誕地の縁で中国余姚市(ヨヨウし:中国浙江省)と友好都市交流をもっている。
[編集] 参考文献
- 常陸太田市の歴史散歩(1986年)