琉球国王
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琉球国王(りゅうきゅうこくおう)は、1872年(清: 同治11年、日本: 明治5年)まで沖縄に存在した琉球王国の君主及びその外交称号(封号)であり、明及び清から冊封される際に授けられた封号である。国内では御主と称された。正式名称は、琉球國中山王。
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[編集] 概要
[編集] 王号の起源
王号の起源は、明に朝貢して冊封を受けてからと言われている。1404年(明: 永楽2年)2月、察度王統の二代・武寧(1356年 - 1406年)の時、明の永楽帝が冊封使を派遣し、武寧を中山王に冊封した。これが琉球最初の冊封である。武寧の父・察度が1372年(明: 洪武5年)に初めて朝貢した際、冊封を受けたとの説もあるが、琉球側の史書『球陽』および中国側の史書『明実録』を見る限り、皇帝から様々な品物を下賜されたとの記述はあるが、冊封を受けた、もしくは王爵を授与したとの記述は見あたらない。武寧王が冊封を受けた2ヶ月後の同年4月には、山南(南山)王国の汪応祖も冊封を受けて、山南王に封じられた。
後世の史書では、察度王統以前にあったとされる舜天王統や英祖王統の歴代君主にも王号が用いられているが、これは史書編纂の折などに、王に相当する人物ということで王号が用いられたのであろう。実際には、王ではなく、某按司と称していたと思われる。
[編集] 第一尚氏王統
王爵を受けた武寧王は、2年後の1406年、佐敷按司・巴志(1372年 - 1439年、後の尚巴志王)に滅ぼされる。巴志は、武寧王に代わって父・思紹(1354年 - 1421年、尚思紹王)を中山王の位に就かせた。翌年、思紹は武寧王の世子(世継ぎ)と偽って明へ使者を派遣して武寧王の卒(死去)を告げると、明から使者が派遣され、思紹は正式に王爵を受け継いだ。第一尚氏王統の始まりである。一方、山南王国では、1415年(明: 永楽13年)、世子・他魯毎にも冊封使が派遣され、山南王に封じられている。山北(北山)王国はたびたび明へ朝貢したが、冊封を受けたとの記録はない。
1422年に思紹が亡くなると、巴志が中山王に即位した。1425年(明: 洪熙元年)2月1日、明は冊封使・柴山を派遣し、巴志を中山王に冊封した。その後、巴志は1429年に山南王・他魯毎を滅ぼし、琉球を統一した。翌1430年、巴志は明から尚姓を賜わったとされ、尚巴志を名乗った。統一後も尚巴志王は中山王を名乗り続けたので、これ以降、琉球国王の名称は中山王となった。
尚巴志王の死後、第一尚氏王統は、王家内の争いや地方の諸按司の反乱などに悩まされ、7代・63年間で瓦解することになる。これは第一尚氏王統下では、有効な中央集権化政策を実施しなかったため、地方の諸按司の勢力が強く、王権強化に失敗したためである。
[編集] 第二尚氏王統
1462年、第6代・尚泰久王の重臣であった金丸(尚円王)は、第7代・尚徳王の薨去後、王位を継承して第二尚氏王統が始まった。正史では重臣たちが王に推挙したとあるが、金丸のクーデターであったとも言われている。1471年(明: 成化7年)、尚円は第一尚氏の時と同様、先王・尚徳の世子と偽って使者を派遣し、尚徳王の薨去を告げ、封爵を請うた。明はこれに応じて冊封使を派遣し、尚円を中山王に冊封した。その後、第二尚氏王統は、第3代・尚真王の治世に地方の諸按司を地方から首里へ移して住まわせ、中央集権化に成功した。このため、第二尚氏王統は、1879年の琉球処分まで19代・410年間に渡って続いた。
1636年、尚豊王の治世の時に、薩摩の命によって王ではなく国司の称号を用いるよう強いられた。以後、尚賢王、尚質王、尚貞王の三代76年間、薩摩に対しては琉球国司と署名した(清に対しては中山王のままである)。しかし、1712年、島津吉貴の命により、再び王号に復することになった。復号の背景には、吉貴の官位昇進問題があったとされる。
1872年(明治5年)9月14日、上京していた明治維新慶賀使節に対して、明治天皇から冊封の詔勅が下され、尚泰王は琉球藩王に冊封された。藩王の称号は1879年(明治12年)の廃藩置県まで使われた。廃藩置県後、尚泰は侯爵に叙せられ、東京への定住を命ぜられた。
[編集] 参考文献
- 鄭 秉哲等編・桑江克英訳註『球陽』三一書房 1971年
- 和田 久徳等編『「明実録」の琉球史料(一)』沖縄県文化振興会公文書管理部史料編集室 2001年
- 和田 久徳等編『「明実録」の琉球史料(二)』沖縄県文化振興会公文書管理部史料編集室 2003年
- 東恩納 寛惇『琉球の歴史』至文堂 1957年
- 那覇出版社編・宮里朝光監修『沖縄門中大事典』那覇出版社 1998年 ISBN 4890951016
[編集] 関連項目
琉球国王の一覧 | |||||||||||||||||||||||
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舜天王統 | 舜天 - 舜馬順煕 - 義本 | 英祖王統 | 英祖 - 大成 - 英慈 - 玉城 - 西威 | ||||||||||||||||||||
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第一尚氏王統 | 尚思紹王 - 尚巴志王 - 尚忠王 - 尚思達王 - 尚金福王 - 尚泰久王 - 尚徳王 | ||||||||||||||||||||||
第二尚氏王統 | 尚円王 - 尚宣威王 - 尚真王 - 尚清王 - 尚元王 - 尚永王 - 尚寧王 - 尚豊王 - 尚賢王 - 尚質王 - 尚貞王 - 尚益王 - 尚敬王 - 尚穆王 - 尚温王 - 尚成王 - 尚灝王 - 尚育王 - 尚泰王 |