王光美
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
王 光美(おう こうび、女性、1921年9月21日~2006年10月13日)は、中華人民共和国の人物である。理学修士。元全国政治協商会議常務委員。元国家主席劉少奇は夫。文化大革命においては賛成派から非難・迫害を受ける。
[編集] 経歴
- 北京生まれ。父・王治昌は中華民国の高官であった。
- 北京輔仁大学卒業。フランス語、英語、ロシア語も話し、蒋介石と毛沢東の間の仲介者として第二次世界大戦後活動した。
- ジョージ・C・マーシャルを頂点とする多くの米国人に賞賛された。後に彼女を米国のスパイとする告発のネタに使われた。
- 1947年8月21日に河北省にて劉少奇と結婚した。劉少奇が国家主席に就任した後にはその「ファーストレディー」として堪能な語学力と共に注目を浴びた。
- 1967年、夫の失脚と同時に彼女も紅衛兵に捕らわれて12年間の獄中生活に入った。この背景には、華やかな容姿と知性が毛沢東の妻・江青の猛烈な嫉妬を招いたことがあるとも言われる。文化大革命においては夫と共に「大悪人」「大罪人」とされ世間からも猛攻撃を受け、失意の生活を送る。劉少奇や彼女の子供の何人かは迫害死あるいは獄死した。
- 文化大革命後の1980年に名誉回復される。その後は全国政治協商会議常務委員などを勤めたが、政治の表舞台にたつことはほとんどなかった。1984年任輔仁大学北京生徒会会長。2006年10月13日に北京で肺炎により死去。享年85。
- 大学で物理学を専攻、理学修士。