狭野神社
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狭野神社 | |
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所在地 | 宮崎県西諸県郡高原町大字浦牟田117 |
位置 | 北緯31度54分30秒 東経130度58分11秒 |
主祭神 | 神日本磐余彦天皇 |
社格等 | 県社・官幣大社別宮・別表神社 |
創建 | 孝昭天皇の御代 |
例祭 | 10月23日 |
主な神事 | 苗代田祭 狭野神楽 |
狭野神社(さのじんじゃ)は、宮崎県西諸県郡高原町にある神社である。旧社格は県社で、後に官幣大社宮崎神宮の別宮となった。現在は再び独立の神社となり、神社本庁の別表神社になっている。霧島六所権現の一社である。
[編集] 祭神
神日本磐余彦天皇(神武天皇)を主祭神とし、吾平津姫命・天津彦火瓊瓊杵尊・木花開耶姫命・彦火々出見尊・豊玉姫尊・鸕鶿草葺不合尊・玉依姫命を配祀する。社名は神武天皇の幼名「狭野尊」に因むものである。
[編集] 歴史
孝昭天皇の時代、神武天皇が誕生した地(高千穂峰の麓の皇子原)に創建されたと伝えられる。その後、数度にわたる霧島山の噴火により社殿の焼失と遷座を繰り返し、現在地に遷座したのは慶長15年(1610年)である。この頃より薩摩藩主島津氏の崇敬を受け、社殿の改築・社領の寄進などが行われた。
明治6年に県社に列格したが、大正4年に官幣大社宮崎神宮の別宮に指定された。1898年からは、高木兼寛が宮崎神宮の大造営と同時に、神武天皇ゆかりの狭野神社の社殿の改修も行った。第二次大戦後に再び独立の神社となり、昭和51年(1976年)に神社本庁の別表神社に列格した。