渡辺京二
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渡辺 京二(わたなべ きょうじ、1930年8月1日 - )は、熊本市在住の思想史家・歴史家・評論家。京都府出身。大連一中、第五高等学校を経て、法政大学社会学部卒業。書評紙編集者、河合塾福岡校講師を経て、河合文化教育研究所特別研究員。
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[編集] 経歴
活動写真の弁士であった父に従い、少年期の7年間を中国・大連で過ごす。1948年(昭和23年)、共産党に入党するが、のち脱党。
初期の代表作『小さきものの死』『神風連とその時代』『日本コミューン主義の系譜』等において、いわゆる熊本敬神党の乱や天皇制ファシズム、二・二六事件等、日本近代における大衆運動や諸暴動を分析、その原因を、急激な近代化・西洋化により日本の基層民が抱くに至った西欧型市民社会に対する違和と、伝統的共同体の解体により失われた共同性への幻想的な希求に求めた。
優れた評伝作家でもあり、『北一輝』『評伝宮崎滔天』は、両者を近代文明と格闘した特異な思想家として位置付け、斯界の高い評価を得ている。
また、思想的主著と言うべき「なぜいま人類史か」は、イヴァン・イリイチやコンラート・ローレンツらを手がかりに、現代社会を世界=コスモスとの親和感を喪失した奇形的文明と規定した、極めて反時代的な思索の書である。
近年は関心を近世に向け、幕末に来日した外国人たちの滞在記から、江戸時代を明治維新により滅亡した一個のユニークな文明として甦らせた『逝きし世の面影』により第12回和辻哲郎文化賞受賞。しかし同書の、徳川時代の性に関する箇所は、小谷野敦により厳しく批判されているが(『なぜ悪人を殺してはいけないのか』新曜社)、渡辺は沈黙を守っている。
人間を原子論的個人に解体する近代文明に対し根底的な問題意識を持つが、一方でその出現を一箇の人類史的必然として受け止めるとともに、近代が人類にもたらした恩恵の大きさを基本的に肯定し、左翼イデオロギーからする倫理的かつ性急な近代批判には同調しない姿勢を貫いている。
現在、総合情報誌『選択』誌上に『追想 バテレンの世紀』を連載中であるほか、熊本県に本拠を置く人間学研究会が発行する同人誌『道標』にもエッセイ、評論等を寄稿することがある。
[編集] 著書
- 『江戸という幻景』弦書房 2004年
- 『日本近世の起源 戦国乱世から徳川の平和へ 』弓立社 2004年
- 『近代をどう超えるか 渡辺京二対談集』弦書房 発行年月:2003年
- 『渡辺京二評論集成I 日本近代の逆説』 葦書房(福岡) 1999年
- 『渡辺京二評論集成II 新版小さきものの死』 葦書房(福岡) 2000年
- 『渡辺京二評論集成III 荒野に立つ虹』 葦書房(福岡) 1999年
- 『渡辺京二評論集成IV 隠れた小径』 葦書房(福岡) 2000年
- 『娘への読書案内 世界文学23篇 』朝日新聞社 1989年
- 『逝きし世の面影』葦書房(福岡) 1998年 (和辻哲郎文化賞受賞)
- 『なぜいま人類史か』葦書房(福岡) 1986年
- 『評伝宮崎滔天』大和書房 1985年
- 『ことばの射程』葦書房(福岡) 1983年
- 『案内 世界の文学』日本エディタースクール出版部 1982年
- 『地方という鏡』葦書房(福岡) 1980年
- 『日本コミューン主義の系譜 渡辺京二評論集』葦書房(福岡) 1980年
- 『北一輝』朝日新聞社 1978年(毎日出版文化賞受賞)
- 『神風連とその時代』葦書房(福岡) 1977年
- 『小さきものの死』葦書房(福岡) 1975年
- 『熊本県人』新人物往来社 1973年
[編集] 訳書
- イヴァン・イリイチ著『コンヴィヴィアリティのための道具』(渡辺梨佐との共訳)日本エディタースクール出版部
[編集] 共著
- 『日本の国土 日本人にとってアジアとは何か』(共著)有斐閣 1982年